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「不妊治療をしているけれど、お金がかかり体に負担が…。」
「長い不妊治療、配偶者とギクシャク…。」
今回のブログはそういったことで悩まれている方に、少しでもお役にたてる内容になればと思っています。
長い不妊治療で何百万もかけてきた…。
でも子育てをあきらめられない…。
そんなときに、
いろいろな選択肢があることを心にとめておいてほしいのです。
不妊治療は、本当に大変ですよね。
仕事を休んで検査に行っても、長い時間病院でまち、実際の検査はほんの少しの時間。
また次の予約を入れなくては。また次も仕事を休まなくては…。
診察費だけでもお金がたくさん出ていく。
時間をかければかけるほど、「ここまでやったのだから」と、諦められない。
注射のために足繁く通わなくてはいけなかったり、気分が落ち込む方も…。
「どうしても実子を」とこだわってしまい、結果夫婦で喧嘩になってしまったり、
長い期間辛い日々を過ごすことになっている方もたくさんおられます。
そんなときに、「他に選択肢がある」ということを知っていただきたいと思っております。
当団体の代表 岩朝しのぶも不妊治療を経て里親という選択をした一人です。
> 私も34歳の時に夫と不妊治療専門クリニックを受診しました。
すると、検査後、「出来ると思います」という結果が!飛び上がるほど喜び、治療を始めました。
最初は、そんなに長いトンネルに入るつもりなどなく、まだ30代半ばだし、まぁ多くても2・3回で妊娠するだろうと、すごく楽観的に考えていましたし、年齢と妊娠率などのデータを見ながら漠然とした感覚で挑んでいました。
しかし治療が進むにつれ、1%でも可能性を上げられるようにと、タンポポ茶が良いと聞けば飲み、腹巻が良いと聞けば着けて、というように出来る事全てをやり尽くすほどに。はたから見ると、まるで取り憑かれたように……。毎日が、どうすれば妊娠するか?という事だけに費やされていました。しかし、私が受け取る結果は、34歳の妊娠率とは全くほど遠く……。凹む度に「自分が出来るベストを!」と意気込み全力投球していきました。「努力しても報われない」という壁に、初めてあたり、苦しく、疲弊していた日々でした。
実は、不妊治療はキャリアのある方や努力家ほど、結果が出せない時にものすごいショックを受けるんです。勉強や仕事は、一生懸命取り組んで結果を出してきた。「全力でやって出来ない事はない」という人生を送ってきた人は、自分の力が及ばない初めての壁に心身共に苦しみます。
(引用元:保険市場TIMES 2020-04-30 「挑戦しない人生は人生を失っている-私たちは”愛”に生かされている」より)
また、岩朝はこうも言っています。
> 「治療は最後まであきらめていませんでした。
小さいころから病気や勉強、仕事などどんなことも頑張って克服してきたので、あきらめるという選択をできなかった。
だから治療と並行する形で里親登録をしたところ、不妊治療からは自然と足が遠のいていきました。」
夫婦の子どもであることへの執着はもともとなかった。岩朝さん自身、血のつながらない父親と暮らした経験があったからだ。
「私は実父よりも母の再婚相手(継父)を慕っていたので、もともと血縁へのこだわりがありません。時間や交流の積み重ねが家族をつくることに実感がありました」
「里子は虐待を経験した子も多いので大変さもありますが、この喜びを知ることができて本当によかった。血縁はなくても、年月で家族にはなれるんです」
「私も不妊治療をしていたときは本当に世界が狭くなっていました。次の周期のことしか考えられず、今思うと、まったく私らしくなかった。治療と並行でいいので、実際に養子や里子を迎えた人に会ってみるなど、一歩前に進んでもらえたらと思います。どんな形にせよ、子育ては楽しいですよ」
(引用元:週刊女性PRIME 2019年12月3日号 「「“産みたい”より“育てたい”が上だった」里子・養子を選んだ夫婦が築く家族のカタチ」より)
岩朝の場合は、継父を慕っていたという経験がありましたので、血縁へのこだわりがなかったのですが、そういった経験がない方の場合、実子にこだわり、里親や養子縁組の選択肢を考えられない方も多いようです。
『うちの子になりなよ ある漫画家の里親入門』
という漫画を描かれた漫画家 古泉智浩さんは、不妊治療から里親登録、最終的に特別養子縁組に至ったお話を語っておられます。
>― もともとは自分たちのお子さんを持ちたくて、不妊治療をされていたんですよね。前作に書いてありましたが、最終的に6年間で600万円使ったと。
流産しちゃったんですけど、人工授精で1回妊娠したんです。だから続けていれば、またすぐできるんじゃないかと、最初は軽く考えてました。まさかそんな泥沼にはまるとは想像だにせず……。
世間では、「40ウン歳で第1子妊娠成功しました!」みたいな成功例ばかりが取りざたされて、あんまり不妊治療がうまくいかなかったという情報が流れていないじゃないですか。それってひどいぞ、と思いました。不妊治療の成功率が何%かとか言われてますけど、精子と卵子の状態にも左右されますし、何回かやっていれば妊娠できるとか、そういう確率でもないんですよね。
― なかなか自分の子どもがほしいという気持ちを手放すのは難しいという方も多いと思いますが、里親に踏み切ったのは、きっかけがあったんでしょうか?
不妊治療を続けていても、いつになったらうまくいくか全然わからないし、だんだん焦ってきて、僕が、「1秒でも早く子どもといる生活をしないと、もう狂ってしまう」、みたいな感じだったんですよ。誤解を恐れずに言えば「子どもならもう誰でもいい!」ぐらいの気持ちでいました。
それで、民間の特別養子縁組あっせん団体を調べていたら、「児童相談所の里親登録をしてることが前提です」という項目があるのを見たんです。里親になる年齢にも上限があったり、けっこう細かい条件があったので、なんにしろ「まずは児童相談所で里親登録しておこうという話になりました。でも別に里親登録をしたからといって不妊治療をやめるわけではないので、「同時進行でやればいいじゃないか」と妻を説得しました。実際そうしてましたしね。
> うーちゃん」との運命の出会い
― 里親登録してからすぐにうーちゃんがやってきたんですか?
そうなんです。10月か11月に研修が終わって、12月に預けていただいたんですよ。だからまだ正式な里親登録が済む前で、心の準備なんか全然できてなくて。うーちゃんは予定より早くに生まれてしまったので5ヶ月まで病院の NICU にいたんです。
10日に預かってくれと言われて、15日に漫画の締め切りがあったから、15日より後にしてもらえませんかって訊いたんですけど、「それはだめです」って言われました(笑)。
― 最初に児童相談所から電話があった時には悩まれましたか?
木曜日に連絡いただいて、返事の締切が月曜日だったのですが、新生児に近い赤ちゃんを預けてもらえるなんて、この機会を逃したら次はいつになるかわからない。その日の晩に一生懸命考えて、翌日、「やっぱり預かります」って連絡しました。
― どんな子でもいいから赤ちゃんがほしい!と思ったときにやって来たんですね。そのときの心境は。
とにかくかわいらしい。ちょっとしたリアクションとか寝てる様子とか、目が合うだけで胸がキュンってなって、もう本当にスーパースターが家に来た気分でした(笑)。
上記のサイトには、うーちゃんとの出逢いや楽しさ、特別養子縁組に至る経緯が書かれていますので是非ご覧になってください。
養育里親と養子縁組里親とがありますが、対象となる子どもの数は、養育里親の方が多いと思います。
小学校や中学校入学の時点で保護者が引き取りを希望したり、また、保護者が病気にかかり、一時的に子どもを預けたい、という場合があったりするからです。
里親さんの中には、初めは「養子縁組里親」という選択をされながらも、研修を受ける中で、子ども達の現状を知り、「養育里親及び養子縁組里親」として登録することを決められる方も少なくありません。
多くの方に、里親制度は「子どもの幸せのための制度」であるということを、知っていただけたらと思います。
「自分が子どもがほしいから」という自分の視点だけではなく、あくまで子どものための福祉であるということ。それを忘れず、まずは調べたり、地域の行政とつながり、地域里親会のサロンに参加したり、オンライン里親会などでお話を聞いて、夫婦で色々な選択肢・考え方を持っていただきたいなと思います。
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