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児童自立支援施設で思春期以降のお子さんと直接ライフストーリーワークを実践してこられた徳永氏に「社会的養育全般におけるライフストーリーワークについて」お聞きしました。
今回の講演者
徳永 祥子 氏
立命館大学 准教授
講演内容① 「ライフストーリーワーク誕生の背景」
今から15年程前に、イギリスからライフストーリーワークを学ぼうということで、大阪にライフストーリー研究会というものを立ち上げた徳永氏。
おそらく日本で最初のきっかけだったそうです。 その背景には、90年代の国連子どもの権利条約の批准であり、2000年になるとかなり多くの自治体で、子ども権利ノートを、子どもさんに配るようになったことがあるといいます。
児童自立支援施設においても、お子さんは一冊の子どもの権利ノートをもつのが日常的になってきました。そこには「子どもには『知る権利』があるよ」と明記されていたため、子どもさんが直接、施設の先生や児童相談所の先生に尋ねてくるようになったそうです。あるお子さんは「ここに書いてあるから自分の親のことを知りたいんだ」とか、また他のお子さんは「自分がなぜ施設にいるのか知りたいんだ」というようなことを尋ねてきました。
その時、どういう風に答えたらいいのかということが、2000年代に入ってから、大きな関心事になってきました。
このような背景で、少しずつライフストーリーワークをやっていき、研究会を立ち上げて、15年以上経って、少しずつライフストーリーワークの定義や、ライフストーリーワークに対する捉え方に関して、「ライフストーリーワークというのはこいうことをするものだ」ということが明らかになってくるにつれて、少しずつ認知度が高まり、広がってきているようです。
講演内容② 「ライフストーリーワークをする理由」
徳永氏から参加者に投げかけがありました。
「養育されているお子さん、またはご担当されているお子さんを思い浮かべてください。これまで養育されたお子さんでも結構です。こんなお子さんいらっしゃらないですか?」
・中学校2年生、3年生なんだけども、私や僕はどこから高校に通うんだろう
(どこのお家や施設からという意味です)
・私のお父さんやお母さん、おじいちゃん、おばちゃん弟や妹、お兄ちゃん、お姉ちゃん、は生きてる?どこで何しているのかな?
・次、私のママやパパはいつ会いにきてくれるのかしら?
・お誕生日にはプレゼントもらえる?クリスマスにはプレゼントもらえるかしら?
・お誕生日には連絡があるかしら?
・お誕生日には『おめでとう』っていうメッセージもらえるのかしら?
・私はいつまでこの家(例えば里親さんの家だったら里親さんのお家、施設だったら施設)で暮らすのかしら?
・小さいときにお父さんとお母さんが面会に来た時に「すぐお家に帰ってこられるからね、頑張ってね」って言ってたけど、引き取りあるのかしら?
こんな状態のお子さんはいらっしゃらないですか?
■ライフストーリーワークが提供してくれること
ライフストーリーワークの取り組みは、このような疑問、不安の中に子どもさんを取り残さないように、子どもさんが、今いる状況を知るということも含まれているそうです。
それだけということではないのですが、少なくとも自分の置かれている状況を理解した上で自分の人生を主体的に生きていくための素地を作ることが大切です。
大まかにいうと、過去と現在の知る権利の保障がベースにあります。
ただ、過去と現在の状況を知った上で、子どもさんと一緒に信頼できる大人が、一緒に未来を考えることがライフストーリーワークに必要なのです。そのためには「情報の伝達、知る権利の保障を越えて、子どもさんの気持ちや思い、希望に目を向け、耳を傾けることが非常に重要になってくる」ということです。
■ライフストーリーワークによる「未来」
最近ではライフストーリーワークの認知度が高まってきて、お子さんに関わるみなさんが「この子にはライフストーリーワークが必要なんじゃないかな?」という風に、アンテナを張ってニーズを聞き取ってくださる方が増えてきていて喜ばしいことだと徳永氏は仰っていました。
ただ、残念なときもあるそうです。
それは、「過去」「現在」までの把握まででライフストーリーワークが終了していることにあるといいます。
徳永氏は、「ライフストーリーワークの範囲、取り上げることは、簡単に言ってしまうと、「過去」、「現在」、「未来」です。しかし、昔から「生い立ちの整理」というのは、2000年代以前から長く児童養護施設でお仕事をされている方には「これは子どもの将来に絶対必要だから」ということで、なさっていたのですね。残っている実践報告に目を通すと、ここで止まってしまうともったいないなと、ケースカンファレンスに出席させてもらうと思うことがあるのです。」と言います。
「「生い立ちの整理」はもちろん必要なことでそこがスタートというお子さんがたくさんいらっしゃいます。ただそこで終わらずに将来を考えること、というところまで、ぜひライフストーリーワークを引き延ばして、やりとげてほしい」と伝えてくださいました。
ただ、やりとげるといっても、中学生や高校生の進路相談をしていると、将来の進路の希望は「今日は工業科がいい」、明日は普通科など毎日変わったりするそうです。
「過去」「現在」のところを振り返ったりしていると、お父さんのもとに戻って高校に通いたい子どもさんが、繰り返しライフストーリーワークをすることで、「いやいや、ちょっとまてよ。これは難しそう・自分が朝7時に起きて高校に通うって環境になさそう」と思うようになるといいます。そして、十何年間お父さんの元に帰りたい、「家庭復帰してから高校へ進学したい」といっていたお子さんが、「過去」「現在」を繰り返しお話することで、将来の希望が変わっていくそうです。
つまり、ワークストーリーワークをすることで気持ちが変わってくることもたくさんある。なので、ライフストーリーワークは1回やったら終わり、とか、「これで終了」ということはほとんどないといいます。
ライフストーリーワークは「生涯をかけて行うライフロングプロセス」とイギリスでは言い、「死ぬまで行う作業だ」といわれているそうです。
特に「過去」のところは、事実を変えるというわけではない。繰り返しお伝えするというのは、事実は誰も魔法を使えるわけではないので変えられない。ただ、何が変わっていくかというと、捉え方にあります。
その事実、起こった出来事に対して自分がどう思うのか。どういう風にとらえるか、それが少しずつ変わり、それに連なって将来のところが変わってくる。
このことを小さい時から丁寧に行っておくことで、将来、自分が進路を決めるとき、日本だと中学3年生、高校3年生が大きな進路選択の時期になりますが、その時に焦ったり、何も知らないから決めようがないという状況になり、路頭に迷うことがないように、ライフストーリーワークを通して「過去」の情報に触れておくことが繰り返しやることに意味がるといいます。
小さい時からこういう話題に慣れ親しんでおく、ということをライフストーリーワークではおすすめしているそうです。
徳永氏は「過去」「現在」「未来」について詳しく説明してくださいました。
これまでの自分を知ること、これは「過去」「現在」「未来」の「過去」のところです。
シンプルですが、「私は、僕は、どこから来たの?」「どんな赤ちゃんだったの?」「誰がどんなふうに育ててくれたの?」というところです。これはシンプルに見えてきます。
社会的養護で育つお子さんはとても複雑な背景を持つことがほとんどです。
内容はもちろんひと時にドバっと伝えることができないような内容であったり、2才なら2才、5才なら5才、8才なら8才のお子さんにわかるような形で、説明していかなくてはいけません。取り組み自体は長時間ではないです。
小さいときは絵本や紙芝居を使ってとか、動物のパペットを使ってお伝えしたりとか、生活の中で動物の出産シーンやドキュメンタリーなどで、一緒に観ながら、ふわっとしたやわらかい時間の中で、子どもさんが出してきた質問に答えたり、こちらから積極的に「今、いいかな」というタイミングで伝えたりします。
2,3才、4,5才の乳幼児さんであれば、1時間座って、机をはさんだ面接室で話を聞くというのはすごく難しいことなので、小さい時期にはそのような取り組みをします。
使う言葉も、例えば刑務所、うつ病、精神疾患などの言葉は言ってもわからない。経済的理由といっても全く皆目見当がつかないので、もちろん違う言葉に置き換えて説明をします。
例えば刑務所というのは、パパやママが自由に出たり出てきたり、○○ちゃんに会いたいと思っても、会いに来れない場所にいるんだよ、とか。
うつ病であっても、ぽんぽん痛い痛いと一緒で、気持ちが痛い痛いとなって朝起きたりできなくなっちゃう病気なんだよ。痛い痛いでママ可哀想だよね、痛いんだよね、というような表現で伝えたり、そんな形で少しずつ子どもさんの理解を深めていきます。
ただ、10才や12才の子供に「ポンポン痛い痛い」では困るわけですので、もう少し大人の使っている言葉に合わせていきます。
少しずつ、徐々に事実を正確に表現する言葉で理解を深められるような取り組みを徐々に行っていくことです。
徳永氏が学んだイギリスの先生は「点滴のように」とおっしゃるそうです。
どんな良い薬でもドバっといれると大きな副反応が出ますが「点滴のように」ぽつり、ぽつりと、2才、3才、4才、5才というふうに少しづつ伝えていく。それでショック症状が全くないというわけではないのですが、大人にとっても、子どもにとっても少しずつ伝えることで負担を可能な限り減らしていく、というようなことを目指しておられるとのことでした。
■社会的養育にとっての幼児健忘
「過去」のところで
「私や僕はどこからきたの?」
「誰が産んだの?」
「何グラムで産まれたの?」
「何時何分に産まれたの?」
「何病院で産まれたの?」
このあたりは書類や母子手帳に書いている事実です。
一方
「どんな赤ちゃんだったの?」
「誰がどんな風に育ててくれたのかな?」
などの「どんな風に」というところはエピソードになります。
ライフストーリーワークでは、子どもさんの「気持ち」「事実」「エピソード」の3点セットをバランスよく取り上げなければならないそうです。
徳永氏がライフストーリーワークを始めた当初は、「事実をとにかく伝えなきゃ」ということで、事実寄りの告知のようになってしまい、子どもさんもギョッとしたままで終わってしまうということがあったそうです。
これには、いくつか理由があるといいます。まず、不慣れな状態で行うと、前記3点のバランスが取れなくなり、大人側から事実を伝えることに終始してしまうことになります。
不慣れ、慣れの問題もあるということですね。
他には措置解除間際の18才になって、あと6ヵ月で措置解除だという時に、施設の中で「この子、何も知らないじゃない!」となって、慌ててワークストーリーワークを行う。こうなると時間がないので、事実の伝達で終わってしまうことが多くなります。
一方、ライフストーリーワークを一緒に長い間やったお子さんの様子をみたり、意見を聴くと、事実よりエピソードが知りたかった、知りたいという意見が多かったそうです。
「いつも乳児院のあの片隅で何とか遊びをすごい集中してやるのが好きな子だったよね」
「小さい時から自分も小さいのに、もっと小さな子の面倒をみるのが得意な子だったよね」
「いつも隣の子のおやつをとって食べてたよね」
などのエピソードを子どもさんは知りたいのです。
これは特、2、3才までの幼児期健忘という、私たち誰しもほとんど記憶のない乳児の記憶です。
いわゆる産んだ親御さんが育てた人は、「私、記憶のない3才までの時期、この親と一緒に暮らしていたのだろうか、ましてやこのように存在していたのだろうか」と疑うことはないかもしれません。
ただ、この時期の写真がない、エピソードが聞いたことがない、養育していた人に会ったことも、しゃべったこともないという社会的養育のお子さんだと、やはり「私はこの時期、この世に存在していたのかしら?」と思うかもしれません。
科学的に考えれば存在しているのですが、本当に記憶がない、記録もない、そして聞いたことのないことは確信が持てません。
私たちにとって、ここで産まれてきて、大事に育ててくれて、命をつないでくれたというのは、根っこの部分、ルーツにつながる大事な部分です。
それが社会的養育で育つお子さんの場合、特に施設養護の場合、乳児院から児童養護施設への措置変更という絶対逃れられない制度になっているところも含めて、分断されがちです。
そして、誰かが意図的にこれをつないでいく、育ちをつないでいくという取り組みをしない限り、この時代のエピソードや、この子が小さかった時期に、本当に温かい眼差しで育てていただいた人たちの思い、愛情を注がれてきたことは全く伝わらずに、子どもさんが5才、10才、15才、ましてや30歳、40歳になった時にはこのようなことが本人には全く伝わらない状況になってしまうのです。
だからこそ、エピソードをしっかり残しておくことが大切になってきます。
最近では乳児院の先生方がアルバムをたくさん作ってくださっていて、すばらしいアルバムを数冊持って児童養護施設へ措置変更してくるお子さんもいらっしゃるそうです。
徳永氏は「写真だけじゃなくて、養育者のまなざしが伝わるような一言エピソードを各写真に入れていただけるといいなと思います。例えば、旅行の写真も20〇〇年〇月に白浜にいったよ、とかいう情報もすごく大事なんですけども、「いつもは食べないお魚も白浜では食べてくれたよね、すごくうれしかったよ」とか、「新鮮なお魚は大好きだから グルメな子なんだね」とか、そういう一言エピソードがあるだけで、これが10年後、15年後、本当に30年後、40年後どれだけ大きな効果があるか、というのがやっぱり最近当事者の方々が話を聞いて出てくるようになりました。なので、そのようなエピソードもつないでいくというのが大事だと思います。」ということでした。
次は「現在」のところです。
「過去」の話をしていると子どもさんはすぐに「じゃあ、僕や私はなぜ今ここにいるの?」「お母さん、お父さんは今はどうしているの?」「お母さんが精神的にしんどくなって、毎朝起きてミルクを日に何回もあげておむつも替える時間や労力、体力がなくなって、お金がなくなったとはわかるけど、じゃ今はどうしているの?」
必ず子どもさんは聞いてきます。
ここもすごく時間をかけて、「措置理由」を含めて、「過去」から「現在」のところまでしっかり説明しておくということが大事だと思います。
全部つながっていくのですが「将来」を考えるところ。
「「過去」の状況はわかった、「現在」もなおお母さんがしんどいのはわかった、お父さんが経済的に不安定で引き取るのは難しいこともわかったけど、じゃ、僕や私はこれからどうなるの?」ということですね。この部分もライフストーリーワークでは考えるようにします。
これは「過去」の情報があって、「現在」の状況を把握した上で、初めて考えることができます。
乳幼児期に委託されて里親さんのところでずっと暮らしている、逆に、いろんな施設の種類を経験してきて、小さい時からいろんな施設を経験して育ったお子さん、社会的養育の子どもたちはいろんな生育歴をもったお子さんがいます。
きめ細かに丁寧に情報を得ていないと、将来を考えるところになって、とても困るということが今現在起こっています。多いのは中学校3年生で進路の段階になった時です。
徳永氏は「小さい時から少しずつお話しておかないと、13才から15才の間で困ってしまうお子さんが後を絶たないんじゃないかと思っています。」と言い、最近ではライフストーリーワークは、この「将来」を考えるためにやるんですよっていうところを強調してお伝えしているそうです。
将来を考えるとき、中学校3年生、高校3年生といった大きな進路選択の時期が一番わかりやすいですが、それでは、「小さい子は将来のことをあまり気にしてないの?」というと、そういうわけではないようです。
幼少期のお子さんでも、「来年のお泊り保育って〇〇幼稚園で、今年の年長さんのお兄ちゃんお姉ちゃんがしていたみたいに、流しそうめんできるの?」とか、「今いるクラスメートのお友達と一緒にお泊りで、○○ちゃんの隣の布団で寝たいな」、小学校になると林間学校、運動会や修学旅行といろんなイベントがある中で、「私って来年の林間学校も、今いる○○小学校からいけるんだろうか?」とか、それとも「お父さんお母さんが状況が整ったら引き取るからねって言ったきり、3年くらい音信がないんだけど、いつか急に引き取りにくるの?」という近い未来の生活について不安に思うこともあります。
元気に楽しく幼稚園や学校に通う上で、自分の将来について、外的な要因がガラッと変わるということをお子さんたちは何回か経験してきてます。
そんな中で、また同じことが起こるんじゃないか、しかも自分にはあまり意見を聞いてもらえないとか、あまり前情報がない中で急に「はい、引き取りだよ」「はい、お家帰るよ」となり、小学校の友達としっかりお別れをしたり「自分は小学校卒業までは里親さんのところで暮らしたい」というような十分な協議がなされないまま、実家庭の方に帰るというケースもあるかもしれません。
そういうことを年齢が大きくなればなるほど、考えます。
では小さいお子さんであれば、考えないのか不安じゃないのか、といえば決してそうではなく、小さなお子さんであっても、やはり近い将来、近い未来から大きな進路選択まで、困ることないがないように、その年齢に応じた「過去」や「現在」の状況をシェアしておくことがライフストーリーワークができることだそうです。
ライフストーリーワークをこのような建付けで考えると、実際にライフストーリーワークを行うときに、親御さんの悪口を言うようなことには絶対につながらないはずだと徳永氏は続けます。
「子どもさんが安心して今いる環境で大きくなるために必要な情報、というのは、基本的に事実ベースの話になると思いますし、「こんなんで、あなたの親は育てられないから」というような口調にならないはずです。
ただ、それがすべてポジティブにとらえられる情報かといえば、そうではないんですね。なので、そこのバランスが必要になり、基本的には事実に即したもの、もちろん嘘がない情報を少しずつ伝えていくことにより、子どもさんがストーリーワークだけではないですが、今の親御さんの状況がわかるような情報を少しずつ伝えていかないといけないなあ、という風に思っています。」
徳永氏が児童自立支援施設で子どもたちと暮らしていた時のことをお話してくださいました。
面会の場面で、その時に子どもさんたちが、荒れてしまうということがあるので、ドタキャンが多いお家の方だと、子どもさんに面会があることは事前には伝えていなかったそうです。
面会のある当日、お父さんもお母さんも家を出たよ、という連絡があって初めて子どもに「お父さん、お母さん、会いに来てくれるんだ、良かったね。」と伝えて「このお野菜取れたから持って帰ってもらおうっか」と、子ども達も喜んで準備します。
統計をとっておらず、肌感覚ではありますが、年間10回、年間12回、月1回とお約束していても、実際に来られるのは年間1回とか2回の親御さんがかなりの数おられました。
それは、子どもさんが不憫かなと思い、当日まで言わないということをしていました。
今思うと、私自身反省しております。
親御さんが約束した日の朝、起きられなくて、これはうつ病の薬の影響であったり、約束した日に生活保護のお金を全部パチンコに使ってしまって、交通費がないから来れないという場合もありました。
また、お母さんの面会の時、良いパートナーがいるときは車で連れてきてもらえるけれど、パートナーが変わって、子どもさんのことに時間を割いてくれるパートナーではなくなった途端に、半年に1回の面会になってしまうというようなこともありました。
これらのことは子どもにとっては大歓迎するような情報ではないかもしれませんし、事実ではないかもしれないですが、私たちと子ども達が暮らしてきた1年、3年の間のお子さんの状況を知るすごく良い情報源だったんですよね。
子ども達も中学生くらいですから、その背景も理解できるし、理解できないんだったら私たちと一緒に理解できるように、不安定になっても働きかけるべきだったなあと今はとても反省しています。
私たちも悪意があったわけではなくでショックを受けたら可哀そうだなと思ったのと、当時、やんちゃなお子さんがたくさん入所している血の気の多い施設だったため、一人面会がドタキャンになって暴れると、流血の事態で隣の子を殴ってしまったり、トラブルが絶対起こるので、他の子にも迷惑がかかるし、伝えるのはやめておこうという方針でした。
ただでさえ家から離れて暮らしている子どもたちが親御さんの今の状況を知るという、こういうことを少しずつ生活の中で伝えられれば、ドバっと伝えないで済むわけです。
そういうこと言わずに中学3年生になって進路を決めようとなったときに「お母さん最近うつ病の調子が悪化しているみたい」といわれても、子どもさんは「そんなこと知らんやん。3年、4年も何も知らせんと、急に引き取りは無理だから、進路変えてくれって言われても、聞いてないし」となるわけです。
これは、怒りを爆発させるのは当たり前ですよね。
3年も5年も状況を聞いてないのに、自分の希望、家庭から高校へ通いたいというのは無理ですと、中学3年生になっていわれても「そんなん、ずっと聞いてない。親は普通に頑張ってお金貯めて引き取る準備をしてるんじゃないか」という風に思っています。
そういうところを含めて、ライフストーリーワークで日常的に伝えられることを考えていく必要があるんじゃないかなと思います。
講演内容③ 「ライフストーリーワークの役割」
ライフストーリーワークの役割についてお話してくださいました。
■ライフストーリーワークの役割(日常場面型)
ライフストーリーワークというのは、一人ひとりもつイメージが少しずつ違ってきているというか、ずれてきているようです。
しかしそれは良い意味でも、悪い意味でも、本当に普及してですね、ライフストーリーワークやらなきゃね、この子必要だよね、といったときに想像するライフストーリーワークの形が多種多様になってきているんですね。
そこで、私たちの中で少し整理をしてみました。
まず、すべての社会的養育のお子さんとやはり日常場面型という形で日常の生活の中、日常の面会、児童相談所の方々や里親支援機関の方々とのやりとり、日常のやり取りの中で、子どもさんが何を知っていて何を知らないのか、何につまずいているかな、と情報収集を子どもとの会話の中でしっかりしながら、ニーズをキャッチするということはすべてのお子さんに必要な取り組みです。
養育者からすると、写真をとっておいたり、いろんなメダルとか、作った工作物とか情報収集や保管ということもあるかもしれませんし、日常生活の中で、これは第三者である児相の先生や里親支援機関のワーカーさんでもいいんですけど、日常場面での語りかけや応答、子どもさんがサインを出したときにしっかりキャッチしていただくということは日常場面型のライフストーリーワークの必要なことだと思います。
一つ、気をつけて欲しいのは、ここで即答するということはマストではないんですね。
〈事例検証〉
お父さんがお母さんを殺害してしまって、刑務所に入っている事例の場合を考えます。
ある1才の、2才のお子さんが周りの乳児院のお子さんに面会がきているのをみて、このお子さんが「私のパパって元気にしている?」と聞いてきました。
すごく熱心な担当の保育士さんは「とうとうこの時がきてしまった」と。
お父さんがお母さんを殺害して刑務所に入って、何とか刑務所で刑期が十数年、無期懲役とかなので、この子と会うことは十数年会うことはできないんだ、ということを、とうとう言わなければならない時がきた、と思って、びっくりして、無視してしまった。
2人しか乗ってない車の中で、聞いてないふりをして、スルーしてしまった。
これは一番悪い対応のパターンですね。
では、どれがベストだったかと言うと?
子どもさんは何を知りたかったのかを巻き戻して考えてみましょう。
子どもさんは「パパ元気にしている?生きてる?」と聞きたかったんですね。
「だって会いに来てくれないもん、2年間」なんですけど、大人が受け取ったサインは「とうとう言わなければならない。でも、今は無理。まだ整理できてない、私どうしたらいいのかわからない。無視しよう」となってしまったわけです。
ここでは「パパのこと気になるよね。ママのこと気になるよね。当たり前だよね。もうどれくらい会えてないのかな。すぐに私では状況がわからないから、児童相談所の先生に後で電話してみようか。今度、来てもらって一緒に聞いてみましょう」とか「児童相談所に一緒にお出かけして、聞きに行ってみよっか」という答えで100点満点です。
即答するというのは、こちらの準備もできてないですし、マストではないです。
例えば乳児院ですと担当さんの数が10数人預かっているような場合ですと、いろんなお子さんのケースが頭の中に入っていて、もしかしたら正確じゃないかもしれないですね。
加えて、集団養育の場合、周りに他のお子さんがいる中で、答えるということも不適切な場合があります。
ただ、嘘はつかないということです。
よくあるのは里親さんや養子縁組さんの家庭ですと、突然、保育園から帰ってくる自転車の上で「〇〇ちゃんのお家に、妹が産まれたんだって」「今度産まれるだって、だから〇〇ちゃんのママお腹がすごく大きくなっているんだよ」と話ししている時に、「僕が産まれるときも、ママのお腹あんなに大きくなったの。すごいね。」って言ったときに、咄嗟に「そうだよ。」と答えてしまう。
「そうだよ。」と一度肯定したものを否定するのはとても労力が必要ですし、子どもさんからするといったん嘘をつかれたという認識になりますので、どんなときでも嘘はよくないのです。
嘘はつかないような形で、かつ即答しなくていいような、即答ができないのであれば、「あ、そういうこと気になっているよね。聞いてくれてありがとう。児童相談所に聞きにいこう」ということでスルーせず、嘘もつかず、答えるというやり方が100点満点かなという風に思います。
よくいただく質問で、「子どもが聞いてくるまで待ってもいいでしょうか?」。例えば養子縁組さんであれば、真実告知、特に乳幼児から育ててらっしゃる里親さんではこういう告知を含むライフストーリーワークについて、子どもが聞いてくるまで待ってもいいでしょうか、という質問をうけるのですが、今のようなリスクはあります。
親、大人の方が突如、予期していないときに質問がとんでくる。
このことにしっかり答えられるいつも臨戦態勢だったらいいのですが、いわゆる小さい時から一緒に暮らしているわけですから、いわゆるどこにでもある普通のご家族ですよね。なので、ついつい親の方も忘れてしまう、それがそれで良いことだと思います。
日常的にそういうことを覚えておいていて、いつもサインが飛んでこないか、キャッチしないといけないんじゃないか、ドキドキしておくというのは、メンタルヘルス上健康ではないと思います。
したがって、ライフストーリーワークを小さいときから、こちらが徐々に積極的に大人の側から、働きかけていくというのは、大人にとっても安心感があって、大人側が準備できていて気分もよくて、スケジュール的にもゆったりしているときにこちらが決めて、「ねえ、ねえ」って誘ってお話できることの方が安心して話せます。
雨風降り注ぐようなところで「ママのお腹もあんなにおおきくなった?」って声も聞こえるか聞こえないかというか、保育園の帰りの自転車の中だったら、「なんて?」って言いながら答えなきゃいけないわけですよね。「もう一回言って」というような。
そんな時に聞かれて「うまく答えられなかった」というご相談を後からよくお聞きします。
3才くらいの保育園に行くだとか、早いお子さんだと2才くらいだと、周りのお子さんのお母さんを見て、そういうことを聞いてくることがあります。
だから2,3才を目途にそういう話は大人から、何気ないときに「そういえばね」とか、あとは、産み親さん、実親さんの写真を貼っておきながら、「これって誰か知っている?」一日の中で数十秒ですね。別にしかも毎日じゃなくていいのです。月に何回かとか。
養子縁組さんの場合、縁組が成立した日をパパとママにしてくれた記念日ということで、年に1回プラスもう1回くらい、お話をする機会をもつ。
こちらから積極的に取り組む、子どもが言ってくるのを待たないというのは、そういう意味で日常場面の中でやっておけることがあって、その方が子どもにとっても大人にとっても、とにかく安心であるということがあるといえます。
やっぱり大人にとって安心な取り組みの方が子どもさんも落ち着いて聞けるので、大人がドキドキしているとお子さんにとってそれがどれだけポジティブな内容であっても家族ですから必ず伝わります。
一番信用している大人がドキドキしていることは、子どももドキドキしちゃいますよね。
そういう意味で日常場面型っていうのも、待ってやるのではなく、生活の中でできることを徐々にやっていくという方が、安心なんじゃないかな、と思います。
■ライフストーリーワークの役割(セッション型)
日常場面の中で様々なニーズをキャッチしたり、もちろんこういうことがなくても、高年齢で入所したお子さんには入所したら、割と早い段階でセッション型のライフストーリーワークをしようと思うと、児童相談所の方が計画を立ててきてくださることもあるんですけども、多くの乳幼児から委託されている社会的養育で暮らす歴が長いお子さんですと、必要な時期にセッション型を行うことがあると思います。
セッション型をライフストーリーワークとイコールだと思っていらっしゃる方が結構いらっしゃいますが、3-40分ないし1時間くらいの時間をしっかり取り組める年齢になってからセッション型をするので、これを待っているとものすごくライフストーリーワークの時期がどうしても後ろにずれていきます。
なので、ピラミッドの一番下に、ほんとは日常場面型があるはずです。日常場面で、普段から生活の中で溢れている、そういうワードが家の中で安心して語れる環境にあるお子さんであれば、もっと大きな説明、もっと大きなワードについて、大人の言葉に近い言葉をつかって説明を受けるのも、準備性が整っているわけですよね。
日常場面でそういう話を一切しなかったのに、急に小学校5年生になって、児童相談所の会議室に呼び出されて、「実はあなたは措置された理由を知っている?1才の時にこういうことが起こってね。今お母さんこうなのよ。」という風な話をすると、子どもさんもびっくりしますよね。
過去10年を1回で伝えられても、1年間で伝えられても、消化するのにとても時間がかかります。これが小学校5年生ならまだしも、中学校3年生の進路を選ばないといけない時に、こんな話をされたら、周りの子は受験に集中している時期に、この子は家のことを過去15年間を理解した上で、進路もそれに応じて決めないといけないすごく過酷な環境に追いやられるわけです。
少なくとも15才になったときに、子どもさんをこういう状況に追いこまないために、ライフストーリーワークを早いうちから少しずつ大人にとっても子どもにとっても負担のない形でやっていってほしいなあということが、この15年間ライフストーリーワークの実践と勉強をさせていただいて、児童自立支援施設で、10年間で百数十人の子どもさんと暮らした中で思ったことです。
多くのお子さんが過去に何らかの事情を抱えて福祉施設、児童自立支援施設に入ってくることが多いので、当時あまり里親さんというのはなかったですけども、やっぱり知らないことが多すぎる、なのでそれを中学校3年生でこっちも頑張って伝えようとするんですけど、子どもも「やめてくれ」と。「これ以上いっぱいいっぱいだ」となってしまうことがたくさんあって、ほんとに不十分なかたちで退所させざるをえなかった、
進路も今の状況に応じて、本人の希望とは違うのに、決めさせざるをえなかったという苦い経験を私自身もあって、これからお子さんたちにはそういう環境にならないようになってほしいです。
ただ100%お子さんの希望が叶うわけはないですよね。ないですけども、ないかもしれないですけれども、いわゆる一般的な家庭のお子さんも私立にいきたいと思っても、家の経済的な事情とかいうことでね、断念せざるケースがたくさんあると思うんですけど、それが少なくとも日常的になんとなく理解して、「そうだよね、そうだよね」という形で理解して進んでいけるようにしないと、中3の2学期なんかに言われてもですね、やっぱり困っちゃいますよね。なので、そういうところに少し長い視点で、または逆算して、子どもって放っておいても年齢は重ねていきますし、退所であったり、委託解除の時期がくるのですから、そういう中で逆算しながら、今、目の前にいる2才、4才、5才のこの子に伝えられることっているのはイコール、この子が15才、18才になったときには困らないこと、というのを逆算して伝えていけるっていうのはライフストーリーワークを使ってすべての社会的養育のお子どもさんに保障できる社会であるといいなと思っています。
■参考サイト
国立武蔵野学院
https://www.mhlw.go.jp/sisetu/musashino/
一般社団法人 無憂樹
https://muyoujyu.com/
参加者からいただいた質問
ライフストーリーワークを学べる研修会などがあれば教えてください。どんな子ども達を対象に行うのですか。また年齢などワークを行うにあたり最適な年齢などありますか。逆にふさわしくない子どもの状態などがありますか。
支援専門職の人たちの研修は、今、一昨年から、 一般社団法人の「無憂樹(むゆうじゅ)」というところで、年に数回行うようになっています。里親さん向けの研修を来年度やりたいと思っていますが、なかなか今はそこまで至っていないです。支援職の方であれば、「無憂樹(むゆうじゅ)」というホームページを見てもらえれば、4月以降年に何回か開催されると思います。
ふさわしくない年齢とか状態とかは、そんなにないと思います。
お子さんに合わせて、少しずつ生活の中で、例えばまだまだ措置されて間もないお子さんであっても、これまでの生活のことを聞いたり、「里親さんの家に来て困っていることはない?」だとか、「これまでの生活と里親さんでの生活の違いで困っていることはない?」というところを皮切りに、話をしていけば、「過去」「現在」というところは、話題にでてきますし、そんなに侵襲性が高い情報を里親さんから伝えるとか、ワーカーさんから伝えるということではなくても、そういう取り組みでできると思います。
「これまでの生活と変わったことは何かな?」とか。
あとは「里親さんから〇〇ちゃんがお家へ来てくれた日はこんなんだったんだよね、すごくうれしかった」とか、「来てくれてこんな風に変わったよね、こんな風に成長したよね」などで良いんです。
来てから毎月写真を貼ってくださっている里親さんもいらっしゃいます。その場合はこんなに髪が伸びたし、顔も笑顔が素敵なお姉さんになったよねというような話ができるかと思います。ふさわしくないというのはないと思います。あまり関係性がない方が親御さんの、大きな事実を伝えるというのをすぐに行うというのは、厳しいかもしれませんけれど。
ニーズが必要な子ども達、例えば発達障害の子どもたちに日常場面で説明をしていくような時、留意事項とか具体的な説明の仕方とか、そういったものがあれば教えてください
まずニーズがある、発達障害があるとか、心身の病気があるということはわかったら、私だったらこう考えます。「これはライフストーリーワークができないな、といわけではなくて、ゆっくり、丁寧に、してあげなきゃいけないというニーズを持ったお子さんだな」と。
そう考えていくと、少しずつ早めに他の同じ年齢のお子さんよりも早めに始めようと思ういます。
例えば、10の事柄を5才までにカバーしなきゃいけないときに、一般的な通常の発達域のお子さんだと、3才で始めたらいいかなと思うときに、2才からすごーく、ゆっくり始めるとかですかね。あとは目から入る情報の方がわかりやすいお子さんの場合は写真を貼って生活場面、お家の中にたくさん貼っておいて、それで指差しで「あ」といった時に「これママね」、「あ」といったときに「これパパね」とか、一日5秒、10秒、5秒、10秒みたいな取り組みの中で、少しずつ取り組みの中で工夫をするんじゃないかなと思います。
ライフストーリーワークというと児相と一緒に話、アルバムを作りと、作業量が多いイメージがあります。児相担当者も変更があり、どのタイミングでスタートすればいいのかわかりません。家でできることから取り組みたいのですが、おすすめのスタート方法と里親としての心構えはありますか
よくぞ聞いてくださいました。これは実はですね、私が相澤先生のもとでお仕事させていただいたときにですね、国立武蔵野学院の方でですね、育てノート、育ちアルバムを活用されているのですが、相澤先生、ぜひそこの説明、ご紹介いただいたらと思います。
(相澤先生)
私は国立武蔵野学院にいたときに、社会的養護における育ち・育てを考える研究会を作ってまして、そこで実際に子どもたちの発達をどのように保障するのか、ということを考えた時のツールの一つとして、最初に取り組んだのが「育てノート」「育ちアルバム」ということなんです。
国立武蔵野学院のホームページに全部掲載されていますので、きっとみなさん方の役に立つと思うから、見ていただく良いと思います。
子どもの出自を知る権利の保障と記録の在り方ということで、社会的養育ビジョンのなかでも、きちんと胎児からの記録を保障すべきだといっているわけですよね。
そこで育ちアルバムと育てノートの作成ということで、育てノートは養育者がつけるノートで、育ちアルバムは子どもと一緒に作るアルバムということになります。
これまでの記録をきちっと、これまでの記録に養育者の主観的な記述や写真あるいは生い立ちや家族の情報等をいれていく記録、子ども自身の育ちに応じて、自分や家族等に関する情報に基づき、自分の物語やアルバムをつくっていくということです。
写真というのは、やっぱり3.11が11年目になり報道されてましたけど、こういったときに何をみんな大事にしたかというと、写真なんですよね。
東日本大震災の時に自衛隊の方が写真を集めてきて、みなさんに配布してますけども、自分の気持ちを立て直すためにすごく役立つのは写真というものはすごく影響を与えるものなのです。ですので、育ちノートの作成理由としては、これまでの児童相談所から送られてきた子どもに関する情報とか、他の施設から送られてきた情報は、子どもの問題性やその背景などの情報が中心です。
その子供らしさ(強み)の成長の歩みについての多面的な情報とか、子どもや家族に関わる人々の考えや思いなどの情報を集める必要がある、ということでノートを作りました
初めてのハイハイの写真をいれて、そこに養育者のコメントを入れる。ノートの特徴は、重要なエピソード、子どもにとっての大切な人・者・場所・思い出や関わった人々の交流の様子とかですね。客観的な内容のみならず、関わってきた人々の思いや願い、子どもが将来のことを考えるときに役に立つ記録なんだということですね。
例えば「春美ちゃん」という子のノードでは、例えば足型を取るとか、実際にあやしているようすとか、その時の養育者のコメントとか、3か月のときの母子健康手帳のようなものとから、はじめての食事、お食い初め「口の前に持っていくと舌を出してペロっとなめてします。晴美ちゃんまだ食べられないよ」といった記録、初めてのオマルとか、誕生日、入学おめでとう、とか子どものエピソードをきちっと記録して残していく、そして卒業式とか、こういう養育者が次の養育者につないでいくために残していくことが大事で、当事者(子どもたち)の感想ですが「このようなノートの存在がうれしい」「自分の生い立ちに関しては特に大切に扱ってほしい。養育者の主観でぶれが生じないよう、子ども・養育者の言葉や表情はそのまま書いてほしい」「生い立ちがわからないことで苦しい思いをしていた。そのことを改善してほしい」というようなことが感想として出てきています。
その次は育ちアルバムですが、乳幼児期は養育者が作るわけですが、3才の誕生日のアルバムで、自分が気にいったところを選んでもらって養育者がコメントする。
逆に小学生くらいになったら小学生が自分でコメントを書いたり、年齢が高くなるにつれて自分でアルバムを作っていくわけです。
こういったアルバムを用意してあげることが大事ですね。
当事者の声ですけども、「施設でアルバムを作ってもらえましたか」という質問に「施設でアルバムを作ってもらえなかった」「自分にはなかったが弟の施設にはあった」「数枚の写真をもらった」、そして「どんな写真を残してもらいたいですか」という質問に「子どもの頃の写真がないので見たかった、一般の家庭にある、お風呂に入っている写真、ふつうの生活の写真がほしい」、また「一枚だけ渡された小さいころの写真が、自分の写真ではないことがわかりとてもショックだった」「成人式の写真がうれしかった」「生活の写真が一番うれしい」また「母親の写真がない、母親の顔を覚えていたがだんだん忘れていった。せめて写真1枚でもあれば・・・」といった、いかに子どもたちにとってこのような記録が重要であるかがわかります。
「育ちのアルバム」子どもが養育者と作るのであり、育ちアルバムを介したコミュニケーションと関係性の深まりがある。基本的信頼感の強化(養育者と気持ちを伝え合い、感情を共有することで信頼感が増す)につながります。
他にも「育ちのアルバム」の意義として、子どもが自分の過去を振り返り、現在を受け入れ、将来の糧とする生育史の記録でだということです。
現在、音楽大学でピアノを専攻しているとすると、過去には高校で音楽クラブに入っていたことや小学校のときはピアノのおけいこにいっていて、幼稚園では木琴を教えてもらった、最初に音楽の楽しさを教えてもらったのは保育士の先生だ。なので音楽の楽しさを教える先生に将来なろうと思うわけです。要するに時間的展望がもてるわけです。
里親さんや施設にくるお子さんの背景には「これは伝えていいのだろうか」と「親が犯罪者であったり、親が薬物中毒で入院している」といういろいろな事情があるんだと思います。そういうのをどこまで伝えていいのだろうか、子どもの年齢にもよると思うんですけども、2,3才の子どもにいう必要はないのだろうけど、15才といった子どもに対してベールに包んで話すのも違う気がするし、事実告知というか、思春期にそんな話までしていいのかとか、たぶんみなさんタイミングや内容を迷っているような感じなんですが、相澤先生、徳永先生からアドバイスをいただければいいかと思うのですが。
まず一点は、子どもさんの健康情報であるということは、センシティブな内容であっても伝える必要があると思っています。
例えば、近親間で産まれたお子さまは、DNAチェックをしないとわからないことかもしれませんが、近親間で産まれたことを伝えにくいという相談を受けるのですが、子どもさんの生命、財産、健康に関わることなんですよね。そのお子さんが大きくなって子どもを持つかどうか判断する時に、自分が近親間で産まれたことで遺伝性の疾患が隔世遺伝で出やすいとか、私は医学を全然わからないですけども、そういう判断材料になるわけですよね。それをご本人だけが知らされず、周りは知っているのに、例えばそのまま子どもを産もうかという意思決定をしないといけない時に、これは子どもさんの生命を考えることではないかと思います。例えばですね、うつ病とかですね、さまざまな依存症についても、環境因なんか遺伝因なのかわからないですけども、そういうことに不安をもつお子さんも多いんですよね。実際私が見ていたお子さんで、国立武蔵野学院に行く前の事例ですが、お父さんがアルコール症候群のお子さんで、そのお子さんは小学校5年生までお父さんとお母さんと暮らしていましたから、すごく不安になって事前に精神科の病院に行って、アルコール依存の症状ではなかったのですが、将来自分もアルコール依存症になって他人に暴力をふるってしまうんじゃないだろうか、ということで相談にいったんですね。それには2つメリットがあって、1つは早めに精神科の病院というところに受診することに対して怖いとか抵抗なく、いろんなアドバイスをもらえるということを経験できることにあった。もう一つは、お医者さんからしっかりした情報を得ること、その方に合わせたアドバイスを得ることができることにあるんです。
退所前にできてよかったなあと思います。
伝えにくいこと、例えばですね、親権者の同意を得られない場合には、それを乗り越えて伝えることは難しい場面もあるんですが、進路について悩んでいるのに、情報がないのに進路が決められないというときには、セッション型のライフストーリーワークで、児童相談所についている弁護士の方とも相談しながら、音信がつかない場合でも、何十回でも電話とかお手紙をした上で、それでも音信がつかない、子どもさんがただ困る、進路が決められないということで、やむなく同意を得られずに伝えた場合もあると思うんですが、弁護士さんと協働しながら伝えていくというのが、親権者の同意に関していうと実践上は必要な手続かなと思います。
もう一点お伝えできてなかったのですが、今の時代はSNSが発達していて、小学生でもノートパソコンとお家に小学校から持って帰ってきて使っているような時代で、隠せる情報がほとんどない状態なんですよね。
大人の方がいかにコンタクトをとらないようにいう形でいっていても、やっぱり何らかの機会に戸籍や住民票を見る機会があったり、もちろん本人が覚えていれば、親御さんのフルネームを入れれば、即座にSNSを通して親の現状がわかることをあると思いますし、DMを送れば、「すぐに会いたいんだけど」と連絡をとることが数十秒で可能なんですね。伝えるか伝えないかを越えて、視点は「どのように伝えるか」ということに移ってきていると思います。
18才を超えて自立した上で、その情報に一人で向き合うのか、私たち支援者がいる18才までに、もちろん不安定になったり落ち込んだり、いろいろするとは思うんですが、より安全な環境で教えてあげるとか、この2択じゃないかなと近年は考えています。
(相澤先生)
家族の問題を抱えている子どもは多くて、思春期以降でそういう問題を抱えている子どもたちは深刻な状況になる場合も少なくないので、そういう意味では児童相談所とかチーム養育でどういう風に継続して支援していくのか、計画なんかも継続していけるのか、関係機関と連携しながらサポートしていくことがとても大事だと思います。
委託年齢も児童相談所が必要と認める年齢まで延長できるように変わると思うので、そういったことも考えると、本人がきちっと自分の中で解釈して、将来を考えていく、サポートをこれからどんな風に里親さんと児相とか関係者と取り組んでいくというのが大きな課題だなと思います。
「被虐待児で保護されていると覚えていない出来事もある。虐待されていた頃が夢ような状態であるのか現実なのかという状態にある場合には、虐待があったから保護されたのだということを伝えた方がいいのでしょうか。」
(相澤先生)
事実ということに関しては、徳永先生がいうように嘘はつけない。
上手に子どもに受け入れられるような伝え方が大切ですね。
とくにステップファミリーとかですと、幼少期に再婚している場合に今更言わなくてもいいのではないかと思う方も多いんじゃないかと思うんですが、みなさん何かこうわざわざこれを知ったらショックを受けるということを伝えない方がいいんじゃないか。嘘をつくわけじゃないんですけど、わざわざ伝えなくてもいいんじゃないか、みたいな、そこが皆さん悩んでいるところだと思うんですけど。だからといって徳永先生がおっしゃっていたように大人側が用意していないときに子どもからポンと質問がきたとき、動揺してしまいますものね。とはいえ、子どもが知ったら傷つくであろうことを私たちが準備して段取りしていわなきゃいけない苦しみ、養育者側の苦しみ、養育者側がしたくないという理由で事実を伝えなければならない苦しみもあります。
結局は大人側のこだわりだったり、回避したいという気持ちだったり、おそれや恐怖心だったりするんだと思うんですけど、質問にもたくさんいただいていたんですけど、子どもにとって過酷な事実とか傷つけるようなことを言いたくない、傷つけるような内容というのは確かにまず産んだお家から離別体験している環境、喪失した体験というのは確かにあるんですが、虐待をされていてその家庭、産みの親の家庭で育つのがよかったのか、里親委託されてよかったのか、施設で暮らした方がよかったのか、ステップファミリーで再婚家庭で暮らした方がよかったのか、よかったのか悪かったのかの価値基準を決める権利は子どもにしかないのですね。
これを悪かったから、例えば、里親さんなんかとてもよい養育をされているのに、子どもが虐待から引き離されて、例えばまだ兄弟がお家にいるパターンは難しいのですけど、この子が不憫だというんですが、本当に不憫なんですかね。というのは会議で言ったりします。もしかしたら今家にいる子どもたちはもう家からいないかもしれないし、その子たちと里親家庭ですくすく育っているお子さんと、人生は一度きりですから比較しようがないですが、今そしてこれから不憫に思うかどうかコントロールできない。
むしろ今の生活が充実した安心安全な環境でそれが連続して保障されていくのであれば、もしかしたら20歳、40歳になって聞いてみたら、「家に残っていた子どもが不憫だった」という方っておっしゃるんですよね。本当のところわからないのですね。
家にいる子どもが今15歳なんですが、残っている子が心配と言ってます。
そうなんですよ。あと不憫かどうかもあるんですけど、捉え方って人それぞれなんですが、信頼している大人が不憫だというトーンで伝えると不憫になってしまうんですよ。
だからその子の責任じゃないということを虐待であっても何であっても。家から離れなくてはならなくなったのは子どものせいではないですよね。でも、これを説明しないと子どもの側はナチュラルにそう思ってしまうんです。
そこをまず絶対そうではないということをお伝えしたいということ、そしてこちらがコントロールできることは少なくて、どう伝えるか、伝えるか伝えないかではなくて、どう伝えるか、というところに視点をもっていってもらうような、ネットとかも含めて環境、背景もありますし、当事者の声(相澤先生が紹介してくださったけど)、ちゃんと教えてくれてなかったよね。聞かなかったけど、何がわかってないかわからなかったから、聞かなかっただけで、教えてくれてよかったね、って思っているわけですよね。
30歳、40歳になっても、そういう風に思ってしまう方を減らしていくことも大切です。あんなひどいことを言われたから、ライフストーリーワークを恨みに思っているという方、30歳、40歳になっても、あんまり聞かないんですよね。
欧米であっても。実際、事実で、傷つけるために伝えていないことは子どももある程度の理解があればわかることなんですよね。むしろ言われなかったこと、伝えてくれなかったことが、すごく嫌だったという意見の方が多くて、ライフストーリーワークをしてくれなきゃよかったなんて意見はほとんど聞かなかったと思うんですよ。
そのあとのフォローって大切だと思うんですけど、どんなフォローがありますか。何回か段階を得て、年齢が上がるにつれて告知をやっていくかと思うんですけど。その特に大きくなってきて、本当に伝える情報、事実が変わってくると思うんですよね。そういった時にどのようなフォローがありますかね。こういうことはしておいた方がいいよ、とか。
相澤先生が、チーム養育と仰ってくださいましたが。ここでもチーム養育が大事だと思っていて、伝える人っていますよね。年齢が大きくなって、伝える事実が重くなって、それがポジティブかネガティブかは別にして、一般的に受け止めが重たくなってきたときにですね、ぜひ養育者の方はとなりに座って一番の子どもさんの応援団でいてもらえられるようなポジションにいていただけるのが、役割分担としては理想かなと思います。
もちろん里親さんが知っていることであっても、一緒に驚いたり、「お母さんと全然連絡が取れない、いろいろ話を聞けば聞くほど会いたいのに、連絡がつかない」ときに里親さんが、一緒に「私も会ってみたいのよね。あなたみたいな、可愛い、ほんとに私たちは出会えてよかった。あなたを産んでくれたお母さんに私たちも会いたいのよね」って「そうだよね。なんで会えないんだろうね。」って一緒に揺れたり、一緒にショックを受けたり、喜んだり、怒ってもらう、そんな人がいてくれるというのは一番のフォローじゃかないかなと思っていて、この方がいないで、この方が矢面に立つようになると子どもさんも揺れを出したりできなくなるので、その辺りの役割分担が一番のフォローなんじゃないかなと思います。
(相澤先生)
徳永先生が言ったように、役割分担ってとても大事で、言う側とそれを子ども側が聞いたあとにフォローする側、そういうものをきちっと準備しておくということはとても大事ですね。私も、徳永先生もそうですけど、小複舎制で、例えば里父が言った時に、里母がフォローするとか、そういうきちっとした役割分担を考えてお話するとかですね、そう言ったことがとても大事だなということと、それからいわゆる非行少年とよばれる少年たちが社会に適応していく、そういう中でやっぱり自己物語をきちっと作り直して、要するにメーキング グットかメーキング ベターか、要するに今まであった事実が自分の今をつくってくれている、そういう大切な経験なんだと、そういう風に自分で位置づけられるように、ストーリーが展開できるように、将来を考えられるように、していくということが役立てていけるようにすごく重要なので、そういった子どもが考えられるような、そういう取り組みにしていくのだと思います。
知的障害がある児童の真実告知、ライフストーリーワークを伺いたいです。
知的障害と言っても、得意なところ、視覚なのか、聴覚的な情報なのか、わからないのですが、得意なところにまずは働きかける、どんなことでも鉄則ですけども、やっぱりさっき申し上げたとおり時間をかける必要があると思うので、障害があるとか、理解がゆっくりさんなんだというのであれば、時間をかけて伝えていく。
すごく大事なのは「理解できないから」とおっしゃる方がいらっしゃるのですけど、小さい子でもそうですよね、2才、3才だと理解してるとか、しっかり記憶しておいてくれるとか、というのは2の次、3の次なんです。1回でも耳にいれたことがあるという事実を作っていってあげる。
生活の中で一回でも「○○ちゃんの産んだママはね、なんていう名前で、何々県で産んだんだって」とか「○○産んだママ」とかママの名前ですよね、山田花子さんなら「山田花子さん」とか写真を小さい時から「私、僕って小さい時から知ってたな」という事実が大事であって、やっぱりその生殖補助医療で産まれた子どももそうですけど、高齢になって伝えられるとここまでの人生を嘘をつかれていた、親も別に嘘をついていたわけではないのですが、言わなかったんですけど、子どもさんの成長を待っていて、ある年齢以上になってから今まで言わないで親のふりするなんて嘘じゃん、嘘ついていたの、というんですよ。これを思春期に、ただでさえ反抗期なのに、反抗するのはお仕事なんですけども、不必要に反抗するネタを提供する必要はないな、としかも親御さん傷つくことですよね。
本当の親じゃないくせに。嘘ついていたということで反抗されるプラスアルファで自分も傷つくようなネタを提供しなくてもいいかなと、っていうことは小さい時から言っておくことで、2才のときからこの写真飾っていたじゃん、とか2才のときには山田花子ママのお家ってここにあるんだねって鹿児島県に旅行にいったときにはさ、一緒に近く通ったから病院の前で写真とっているじゃん、ほら、っているのはすごく後から子どもさんは小さい時からうちの家は自分にオープンにしてくれようとしたんだ、みたいな実績になるんですよ。そういうようなすごくそういうワードが溢れているといいね、ということで、あともう2つくらいリスクがあって、小さい時から家にいたとしても、周りの親族とか近所のおじいちゃんおばあちゃんは知っているんです。知ってたりしているんですよね。その人たちからまたそのお家のお孫さんを介して「お前って里子(養子)なんだってね」、実際あった事例では「もらいっこだったんだね」とか言われたと、子ども同士の会話の中で。告知、ちゃんとライフストーリーワークをしていれば「あ、養子縁組のこと昔の人はそういうんだよ」で済むんですが、初めてそこから漏れてきたらすごいショックじゃないですか。子どもは。あと小学校2年のときの生い立ちの授業がありますね。これは指導要領に入っているので、どの小学校でもやらざるを得ない。なのでそこで何かバタバタよういするようなことがないように、一番信頼している親からまたは大人から説明を小さいときからしておいて、準備性を整えておくことが大切です。
知的障害があるお子さんであっても、ただでさえ社会に出て行って、小学校、中学校となっていく中で、いろいろ考えたり、苦労して葛藤しなければならないことが出てくるわけですから、やっぱり早めに視覚・聴覚に訴えるものを工夫しながら、ライフストーリーワークを行っていただけるというのが安全かなと思います。
思春期のお子さんで、何回かは告知しているのだけれど、本人がその話になると、ちょっと消極的で、そこで話が終わってしまう。子どもも「ふーん」という感じで、話が終わってしまって、それ以上突っ込んだ話になっていかなくて、どう進めたらいいのかな、という戸惑ってらっしゃる里親さんから質問をいただいたんですが。そんなことは多々あるのかなと思うんですよね。お話して、照れ隠しか、逆に真実を知る怖さからかわからないんですけど、事実を知ることに消極的な子どもに対してのアプローチとか対処法はありますか。
消極的というのはリアクションしているんですよね。
例えば大人からの直接的な言葉なのか、目配せひとつなのか、近所の人たちの会話を耳にしたのか、おじいちゃんおばあちゃんとお父さんお母さんの会話を耳にしたのか、わからないですけど、何らかのことに対するリアクションと考えるのが、自然で、その聞き来たくないというときに、首根っこ捕まえて聞かせるというのは不自然だし、負担ですよね。大人にとっても子どもにとっても。そういう時はしっかり届いていて何ら、目の前のお父さんお母さんに産んでほしかったのに違うお父さんお母さんがいる。
そんなのは信じたくないし、聞きたくない。大好きなお父さんお母さん、そんなのは許せない。だから怖いし聞きたくないというリアクションなんですね。年齢に応じて変わっていくんですけど、そういう時はお父さんお母さんは「○○ちゃんがお家に来た時、めっちゃ嬉しかったよね。お父さんなんて嬉しすぎて階段こけたもんね」とか、そういう会話を夫婦でするのを子どもに聞かせるとかですね、養子縁組さんだったら縁組が成立した日にパパとママにしてくれた記念日ということで旅行にいくとか、あとお父さんと養子の息子さんが二人でママにサプライズしよう、と計画を立てると。
この日なんの日か知ってる?ママがママにしてもらった記念日なんだよ、その一言だけであとは旅行を楽しめばいいんですけど、一緒にサプライズを用意するとか、楽しいイベントとセットで、話をしたり、子どもさんが自覚できるようなシチュエーションを作るとか、また時間が経ってくれば、聞いてくれることもでてくるし、子どもからあの時聞いたんだけどさあ、僕ってママのお腹から産まれてないの、あのときってもう4年前やん、とかあるんですけど、シチュエーションがくると思いますので、無理に子ども嫌だと言っているときに聞かせる必要はないですけども、別の形で耳に入っちゃうシチュエーションがあるといいですね。あとそういう時って大人が緊張して言ってしまうのではないかなというパターンもあるので、言い方かえてみるとか、ケーキ食べながら言ってみるとか、なにか工夫が必要かもしれないですね。
母親が近親者を殺してしまっているという事実まで、伝えた方がいいのですか?
こういったセンシティブな話も、先ほどの話を聞いていると事実は伝えるということですよね。
これってお母さんが刑事訴追をされているというか、そういう事実なのかな。であれば、「事実」が明らかに出てしまう。ネットで検索したら出てしまいますよね。
戸籍を見れば兄弟がいて、死亡日がかいてあって、この人どうして亡くなったのかとお母さんとの間で会話があると思うんです。お母さんとの連携も必要になるかと思いますし、どのように伝えるかですね。
支援に関わっている方々からタイミングとか時期とかアドバイスがあればと質問のほうにきているのですが。あとは直接、里親や施設職員ではないのですが、学校側のソーシャルワーカーとかが、その親族さんのところにいる子どもにライフストーリーワークをするというのはどうでしょうか。ご意見いただきたいです。
(相澤先生)
そういう事実はきちっと残しておいてあげるということで、伝える、伝えないということについて、個人で判断するというよりも、その子に関わってくれる人たちが、関係者が知っておくことが大事で、例えば里親家庭で伝えたのを知らなくて、学校側で何か問題が起きるとか、いろんなことにもつながるので、やっぱり関係者が情報をきちっと共有しながら、どういう風に役割分担とかいろんなことが考えられるというのを踏まえながら、伝えてあげるということがとても大切です。
まだ実親さんの名前を伝えないでほしいと、児童相談所から許可が出てないので、里親さんが勝手にライフストーリーワークをできない。許可っているんでしょうか、ということなんですけども。もしかしたら子どもが勝手に検索したりするかもしれないから伝えないでくれということなんでしょうかね。
検索とかですね、あとは近所に住んでらっしゃるとか、ちょっと状況がわからないですけど、さっきのチーム養育ということでいうと、やっぱり児童相談所と里親支援機関、里親さん、の3者の中で、もちろん措置権者は児童相談所にあるので、ある程度、許可するという行為はあると思うんですけど、足並みがそろって同じ方向を向かっていないと、まあまあ危険ですよね。
実親の情報というのも、子どもが知らなくてこれから伝えるというのであれば、里親が勝手に伝えるというのはリスキーだと思います。
何らかの背景があって児童相談所さんが止めてあるのであれば、子どもの安全に関わること、であれば難しい判断とは思いますが、やっぱりそこの足並みがそろわないと、子どもの中で混乱してしまいますので、難しいと思います。だから逆に、生活のなかそういうことに関するニーズ、子どもさんが困っているよとか、こんなこと知りたいといっているよとか、「知らないから、自分だけ周りに比べて知らないから僕は困っている」とか落ち込んでいるとか、生活の中のニーズを児童相談所に上げていっていただく、そこでね、児童相談所さんも日々の生活までは把握できないので、小さな表情や言葉一つを伝えていくというところから子どものニーズをみんなで共有して、それにどう対応していこうか、先に実親さんの名前を伝えたほうがいいよね、など、または状況、「「なんで自分を実親さんが育てていないのか」ということを伝えていくのが先だよね」とかみんなで足並みをそろえていかないと、養子縁組さんと違って里親養育というのはそういうところで違っていて、社会的養育のチームの一員ですから、里親さんも児童相談所も。そこは揃える必要があると思います。
今日はいろんなことを勉強させられました。
やっぱり過去、現在に対して、ネガティブな感情を強く抱いている場合ですね、将来の目標や希望をもつことが心理的に苦痛になってくるので、日頃から生活の中でポジティブな感情をいだくように、そういうストーリーが描けるような、そういう情報を子どもたちに、提供していくことが大事だし、子ども達には徳永先生がおっしゃっていたように、そういうことを伝えること自体が、里親さんが苦痛に感じていたりすると、それが子どもに伝わってしまいますので、それはやっぱり子どもの成長、発達にとって必要なことです。きちっと考えて、子どもが受け入れられやすい説明をしていって、しかもそれは点滴を打つように、少しずつ少しずつ打ってあげるのが、とっても大事なんじゃないかなと、徳永先生の話を聞いて思いました。ありがとうございました。
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