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1983年から、子どもと家庭の困り感に寄り添い、ともに向き合い歩んできた、社会福祉法人 麦の子会 理事長 北川氏に「里親支援と子どもの自立について」お話しいただきました。
今回の講演者
北川 聡子 氏
日本ファミリーホーム協議会 会長
社会福祉法人麦の子会 理事長・総合施設長
講演内容① 里親をはじめたきっかけ
北川氏が里親を始めたきっかけとなるエピソードをお話しくださいました。
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今から20年前の話です。
札幌にある「むぎのこ」児童発達支援センターに通園していたある子どもがいました。
その子の家庭に不安な点があったのですが、突然子どもと会えなくなりました。
探してみると、児童相談所が一時保護していることがわかりました。
児童相談所の方が「もうすぐ札幌から遠く離れた施設にいくことになったんです。」
とおっしゃて、私はビックリしました。
わたしはその子に会わせてくれないだろうか、と児童相談所に頼んだんです。
当時の児童相談所は結構対応は柔らかくて、クラスの十数人の子どもとお母さんと一緒に、児童相談所の一階で、会うことができました。
別れ際、子どもたちも名残惜しくなり、保護された子どもと泣いていたのを覚えています。
この子のお母さんには少し知的障がいがありました。
育てられないからと、親子分離するのは悲しいと思いました。もっとお母さんに支援があったら育てられたのではないだろうかと思いました。
また、お母さんが小学校5年生の時に療育手帳をもらっており、親となってから、私たちのところにつながるまで、何も支援もなかったようです。
うまく子育てができなかった、乗り切れなかったというのは当たり前なのに、「あなたは子育てする資格がない」ということで引き裂かれたというのを目の当たりにしたのが、里親になるきっかけになりました。
児童相談所から帰ろうとしていた私たちの姿をみて、児童相談所の係長さんが「あなたが里親になって、あの子たちを札幌に戻してあげれば、いいよ」と言われたのです。
私は「わかりました。あの子が地域で暮らせるなら里親になります。」と答えました。
その子たちは結局戻ってくることはできなかったんですが、時々会いに行っていました。
学校を卒業して、心のケアをしながら、グループホームの職員になって働いています。
私が初めて里親になったお子さんのお母さんは重いうつで、ほとんど話せませんでした。
お子さんも言葉が遅くて、昼夜逆転で生活をしているということでした。
当時の児童相談所のケースワーカーが何度か「むぎのこ」で預かってくれませんか、
とおっしゃって、お預かりしました。
その子が帰る時間になるとお母さんから電話がかかってきて、「夕食食べさせてもらえませんか」とか「今日は泊めてもらえませんか」ということが多くなりました。
「むぎのこ」は通園施設なので、遅くても午後5時くらいには帰ることになっています。
当時、一般的には午後2時とか3時に帰る子どもが多く、夕食提供、宿泊といったサービスはなかったのですが、「そういうことであればいいですよ」といって、夕食を食べさせたり、泊める場所もなかったので、職員の家へ順番に泊めるということをしていました。
ただ、安定した生活ができないと思い、根本的に生活を直そうよ、ということで、お母さんの入院を勧めたのですが、お母さんは「この子と離れたくないので、入院したくない」
と言っていました。
そこで私は「私が里親になって毎日子どもをお母さんのところへ、面会にいくから」
と言って、お母さんの承諾を得ました。
ただ「私が里親なって」といっても、当時は施設養護中心だったので、簡単に里親に預けるという時代ではありませんでした。
そこで児童相談所にケースワーカーさんと交渉したのを、覚えています。
里親生活が始まって、実子が3人いましたので、子ども4人の生活が始まりました。
これまでの3人の子どもを保育園へ預けたように、その延長線上で委託された児童を児童発達支援センターへ通所させ、夕方帰るという日々を送りました。
この委託児童の母親がすごく良くなって、もうすぐ引き取るといった時期に、事故に遭ってしまって、亡くなってしまいました。当初、短期里親だったのですが、本当にこの委託児童を引き取って、育て上げなくてはならない状況となって、涙する日々を送りました。
しかし里親仲間がそばにいてくれたことで、育てていく決意ができました。
結果として22歳の自立まで、家にいることになりました。
次に、この児童が家に慣れるかどうかという時期に、自閉症のKちゃんという子が来ました。
別の里親さんのところでKちゃんを引き受ける予定でしたが、Kちゃんがなかなか私から離れてくれませんでした。とりあえず家に連れて帰ることにしました。
結局、児童相談所と相談してKちゃんも育てることになりました。
何年かしてから、赤ちゃんのYちゃんがやってきました。それから高校生になってから来たYちゃんのお姉ちゃんも育てることになりました。
4人の子どもを育てることになりました。
その間、児童相談所や札幌市の児童精神科とか保健センターとかに、たくさんお世話になりながら育てていくことができました。
とくにYちゃんのお姉ちゃんが摂食障害みたいだったので、児童精神科と密接に連携を取りながら養育しました。
下の3人の子どもは前からいたので、不安定だったお姉ちゃんが来たけれども、影響されずに、落ち着いてました。
〇里親になるにあたって心に決めたこと
北川氏は、ずっと障がいのある子の支援をしていたので、それなりに勉強をしていたそうですが、子どもの前では、専門家にならないで、ただのお母さんになろうと思っていたそうです。
また、北川氏を支えた大きな存在として、青山学院大学の庄司先生のことをお話しくださいました。
庄司先生の講演で、「子どもが帰りたくない」という里親の家にはしないように、心がけたそうです。また、北川氏が大学院で出会った友人の話から「子どもがノーといえる環境」を作ろうと思ったそうです。
〇児童発達支援センター
障害児の支援というのは、当時、ハードルが高かったそうですが、北川氏は
できるだけ使える資源は使おうと思って、当時から、児童発達支援を活用していたそうです。
今は、委託された児童が、「児童発達支援、児童デイケア」を利用することが多いとのことです。
〇思春期の支援・放課後等デイサービスの活動
それから少し大きくなると、仲間との関係が大事になる時期にあたります。
放課後デイサービスができて、自閉タイプの子には大切なサービスで、今での当時の放課後デイサービスの仲間とつながっています。
具体的には、なかなか勉強が得意じゃなかったので、放課後デイサービスで勉強を教えてもらったり、合宿をして勉強したり、先輩の大学生に勉強を教えてもらったりしながら、料理をしてスキルを磨いていたといいます。
講演内容② 乳幼児期の発達支援・すべての子どもに必要なこと
北川氏は「障がいがあってもなくても、乳幼児期の愛着関係の形成が大切、障がいがある子も同じで、お母さん、里親さんとの関係で、安定してくると、子どもの可能性は広がっていくと思います。」とおっしゃっていました。
〇アメリカの里親支援との出会い
北川氏は、仕事の関係でもう少し心理を学ぶ必要が出てきて、アメリカのカリフォルニアにある大学院のカリキュラムを日本で学ぶことができるため、大学院に通いながら里親をされていたそうです。
当時のことをお話しくださいました。
「コミュニティ心理学の科目で、アメリカの里親支援機関に行かせてもらって、そこで里親さんへの心理的支援や子どもも呼んで、子どものセラピーもしたり、里親さんと子どもとの間のセラピーがあったりして、本当にアメリカはうらやましいと思いました。
当時は自己開拓でいろいろの病院をいったり、セラピーを受けていましたが、アメリカはシステムとして、そのあたりが整っているのだと思いました。
あと里親さんの中には車いすの方もいましたし、LGBTの方もいて、多様な里親さんを支援する体制が整っていました。「いつか日本にもこんな仕組みができたらいいな」と思ってました。
シカゴの里親支援機関でアタッチメントセラピーを受けるために、子どもを連れて行ったこともありました。」
〇むぎのこに里子がたくさんやってきた
最初は「むぎのこ」の通園する家族や子どもが基本でしたが、児童相談所からの紹介で、委託された児童が増えてきたといいます。
今の「むぎのこ」には元児童相談所の職員さんもいて、子ども家庭支援ソーシャルワーカーとして働いてくれたり、里親さんの代弁者としても活躍してくれているそうです。
〇児相との葛藤・意見の言える里親
20年間、里親している北川氏は里親制度も大きく変わったといいます。
以前は里親の立場はとても弱かったそうです。
時々里親さんと話をすると、意見を言うと子どもが委託されないのが、ほとんど常識的に考えられていましたし、事実でもあったようです。
また施設養護中心の時代だったので、里親は必要ではないとは言えないけれど、必要とされないところもあったかなと思います。
実際、私の一番上の女の子が、遠くにある私立中学校に行きたいと言ったとき、
小中校とつながっている学校だったので、地元に残るように私が説得したのですけど、
やっぱり行きたいというので、本人の意志を尊重しました。
児童相談所にこの経緯を伝えると「委託児童を遠くに離して、里親をすることはダメです」と言われました。
そして「養子縁組にしないのですか?」と言われました。
結果として、いろいろな人に聞いたのですが、多くの人は子どもの意志を尊重することは大事だと言ってくれました。
決定するのは児童相談所で、「措置を切るならいいですよ」と言われましたので、「そうしてください」と言いました。そして遠くの学校に行かせました。
よく考えると、その女の子の両親は亡くなっていましたし、お兄さんも障がいがある方だったので、社会的養育の状態は何も変わっていないのに、措置を切られるのは少しおかしいと思いました。高校は札幌に戻りたいと言っていましたが、私のところに戻ってこれるのか心配しました。
子どもの専門の弁護士を雇いました。結果として、私のもとに委託されました。
児童相談所の偉い方からは「里親をやっているのはお金のため?」とか言われる時代もあり、
目の前の子どもたちが元気に育ってほしいと思いやっているので、そんな風に思われる時代もありました。里親制度が子どものために位置付けられたのは、社会的養育ビジョンからなのではないかと思います。
里親の役割も社会的に大切なこととして、クローズアップされたことは大変うれしいことです。
〇里親会について
20年前の里親会は、非常にマイノリティーで、新しく仲間に入りづらい雰囲気がありました。
でも、少しづつ里親会の意義を感じて、参加していきました。
理事になって、おしゃべり会などを月1回担当させてもらって、他の里親さんの協力を得ながら、お話を聞かせていただきましたし、私自身も楽しみや喜びを語ることができました。
里親会はせっかく里親になった方々が辛い状況にならないように、子育てで困ったことに、仲間として相談にのる支援機関でもあります。里親会では、子どもが守ることが1番ですが、里親が守られることも、大事だと思います。
児童相談所は措置権があるため、それだけ責任があるのですが、里親さんが不適切な対応をしたら、里親は欠格条項に引っかかったりします。
養育がなされる中で、近い人間関係により、不適切なことも起こりやすい、ということもあります。
社会的養護の子どもを守りたいという気持ちを大切にしてほしいです。
やはり子どもを真ん中において、子どもを養育し、関係機関が子ども守るパートナーとして役割分担をしながらやっていくことが必要になると思います。
講演内容③ 社会的養護の必要な子の支援
「むぎのこ」では社会的養護が必要な子どもの支援をされています。
子どもの多くは、発達に関しての支援を必要としているそうです。
「むぎのこ」での支援についてなどをお話しくださいました。
〇ファミリーホームを創った理由
「むぎのこ」の基盤が障がいのある子の支援をしてますので、障がいのある子どもが委託されることがほとんどでした。
その中で重度の自閉症のある子どもを抱えている里親さんがいたので、「これは里親だけでは大変」ということで、補助者のいるファミリーホームを作って少しでも手厚くなったり、里親さんの支援ができるようにと考えました。
今、6人の子どもがいるファミリーホームが4つあります。
ファミリーホームの課題は職員の数が限られた中で、施設と同等の事務をしなければならず、非常に厳しい状況にあります。
ファミリーホームでは、障がいのある子どもが46.6%であり、そして17歳の子どもが最も多いというアンケート結果があります。少し人員配置を厚くしたり、子ども6人は多いので、4人くらいにしてくれないか、という声があがってきています。
逆に子どもの委託が0人、1人というところもあります。
運営できなくなって閉鎖しなくてはならないというところも出できています。
いろいろ課題はありますが、子どもの育ちを考えて運営をこれから厚生労働省の方と
考えていかなくてはなりません。
〇ケアニーズの高い子どもたち
児童相談所から子どもたちの委託が増えてきて、ケアニーズの高い子どもの委託も増えてきています。
暴力や暴言などが多い中で、特に児童相談所と連携して、子どもを守るようにしていくことが大切です。
〇里親をやめたい
ファミリーホームの里親さんが「里親をやめたい」と言ったこともありました。
ある男の子が車のフロントガラスを割り、里父の肋骨が3本折れてしまったこともありました。
「もう里親は続けられない」と私のところへ言いに来ました。
そうだよね、ということで子どもを他の職員へ預かってもらい、里親さんがにはレスパイトしてもらうことになりました。
1か月くらい休んだ後、里親さんはその子はもう一度受け入れる決心をしてくれました。
里親と子どもとの約束について、児童相談所の職員も入って取りかわしました。
約束の内容としては、「イライラして暴力が出そうなときは、外に出て「むぎのこ」の職員に
電話する」ということでした。
今は子どもは大人になりました。
里親さんは、「人って変わるんだということを、体験して、児童相談所などいろいろな人とつながりをもっていることが、重要であることを知りました。あのときのみんなの協力があって今があり、感謝しています。」とおっしゃっています。
〇里親さん・ファミリーホームへの支援
「むぎのこ」ではむぎのこ会を中心として、里親家庭・ファミリーホームの支援、心理支援、グループカウンセリング、暴力への対応、子ども同士の交流のための放課後デイサービスや、心理支援ではトラウマワークに取り組んでいます。
緊急のときはいつでも電話をかけてくるように、電話相談もしています。
なかなか里親さんだけで子どもを育てることは難しいので、地域の障がいのある子どもを育てたママさんをボランティアおばさんとして、子どものニーズにあわせながら、サポートをしています。
心理支援だけではなく、生活支援も必要です。
里親さんは普通の家庭なので、ヘルパーさんが使えます。ファミリーホームは施設という形態でしたが、厚労省により、ファミリーホームは家庭であるとして、ヘルパーさんを使えるようになりました。
暴力が出たりすると、大人は対応できますが、他の子が疲れて、SOSを出すこともあります。そういう場合はショートステイも含めながら育てている方もいます。
「みんなが笑顔で暮らすには何が大切か」を考えてさまざまな取り組みを行っています。
〇障害のある子どもも里親家庭でプロジェクト
障害のある子どもも里親家庭でプロジェクトは、2009年に庄司先生たちと取り組んだプロジェクトです。
当時、障がいのある子が、クローズアップされていない頃で、障がいがあったら施設へという流れだったそうで「障がいがあっても里親家庭で育ってほしい」という思いのもとにさまざまな関係機関の人たちが集まって、報告書をまとめてくれ、結果として、サービスやサポートを使いながら子育てをすれば、障がいがある子も里親家庭で育てることができます、ということになり、全国で研修も行っています。
〇にんしんSOSさっぽろ
日本財団の支援を受けて、法人として「にんしんSOSさっぽろ」を運営してます。
虐待された子どもも多く、虐待死の中で0歳児での死亡が多いのではじめました。
1年余りで900を超える相談があり、そして、5人の赤ちゃんが産まれました。
やはりここに電話をかけてくれてよかったなあ、と思います。お母さんが育てる決心をした方もいますし、特別養子縁組に出したお母さんもいます。しかしそれぞれにサポートがいると思います。
〇支援をうける側から支援する側へ
ママの中で4人が里親になってくれたり、北川氏の委託された児童と同じ年代で障がいをもつ子どものお母さんであったり、一緒に協力やケンカをしながら、子育てをやっていったそうです。
「社会全体で子どもや家庭を温かくつつむことがなければ、少子化の問題は解決しないのではないでしょうか」
〇「むぎのこ」が行ってきた取り組み
在宅支援が基礎で、家庭からのSOS、障がいのある子ども、社会的養育の子どもやトラウマのある子、家庭では、親が病気・障がい、シングルペアレントであったり、地域にはいろいろな子どもや家庭があります。そこを地域が支え、みんなで支えあって、子どもを育んでいます。そして、障がいのある子どもや、里親家庭の子どもには、トラウマもありますので、手厚い支援が必要になります。
〇一人の子どもを育てるには、村中の大人の知恵と力と愛が必要(アフリカのことわざ)
「むぎのこ」のモットーは
「一人の子どもを育てるには、村中の大人の知恵と力と愛が必要」
一人の子どもをみんなでみましょうということです。
そして、いろんな関係機関が連携することが大切で、特に難しい子の場合、子育てに連携を必要とするようになります。
「子どもが連携のきずなを作ってくれていますよね」と言われるそうです。
北川氏は「子どもが固い大人の心を柔らかくして、手をつながしてくれるのだと思う」とおっしゃっていました。
「里親制度は「生まれてきてよかったと思える日々、この世は生きるのにあたいすると思える多様性が尊重される社会のために」このような考えのもとに成り立っているのではないでしょうか。私たち大人はいろいろな子どもを支えるために必要な存在なんだなと思います。」
〇すべての子どもは社会の宝
北川氏は、「むぎのこ」の取り組みについて「子育ての村ができた!」という本にまとめました。
「子どもを育てるには地域みんなの力が必要であると書いています。「抱え込まない専門性」が大事だと思っています。それは「つながり」、そしてつながるということは、社会性があることです。」
子育ての村ができた! 発達支援、家族支援、共に生きるために 向き合って、寄り添って、むぎのこ37年の軌跡
子育ての村「むぎのこ」のお母さんと子どもたち 支え合って暮らす むぎのこ式子育て支援・社会的養育の実践
「庄司先生のお言葉を引用すると、
「里親の専門性は困ったときにSOSという力がある。それは他者との関係性を結べる社会性である。」
いろんな人と手をつないで、助けてもらいながら、時には助けながら、そんな風に子育てをしてくことが里親に必要なことではないでしょうか。」
〇自立に向けてーいつでも支えが必要ー
最後に北川氏とS君のエピソードを紹介してくださいました。
「自立に向けて、私は障がいのある方とかをみているので、いろんな苦労をしている子どもが大人になったときに、人がいつでも支えてもらえる環境が必要なんじゃないかなと思います。「自立とは、依存先を増やすこと、希望とは、絶望を分かちあうこと」と東大の熊谷晋一郎先生がおしゃってました。
立派にやっていくことが自立ではなくて、頼りながらやっていくことが自立なんだと思います。最後に私とS君のエピソードをお話しして、終わりたいと思います。
【旅立ちの日に】
S君は大学も卒業し、就職も決まり、自分の2部屋あるマンションを借りました。
4月3日、その日は引っ越しでした。
小さい頃から「むぎのこ」で一緒だった友達が、車を出してくれて、朝から夕方からと手伝いに来てくれました。
夜みんなで引っ越しソバを食べに行き、その後、我が家に戻り、最後の荷物をリュックに詰め、自分のマンションに戻る時でした。
我が家では学校に登校するとき、就寝前に握手をする習慣がありました。
思春期の子どもにも「大事にしているよ、愛しているよ」と、ウザがられても、伝えるようにしました。
その日もS君といつものように握手をしました。そうしたらS君から「お世話になりました」と言われました。
予想していなかった言葉でした。
お嫁に行く娘が親元を離れるときのように、心がこもった言葉でした。私は突然の出来事で戸惑い、涙が出そうになりました。
「帰りは自転車だから気をつけてね」と言ってお別れしました。
ドアを閉めたとたん、20年あまりの年月が走馬灯のように思い出し、
「お世話になりました」という言葉に涙が止まりませんでした。
こちらこそお世話になりました。
この子のおかげでいろいろなことを教えてもらいました。
弱音が吐けず虚勢を張っていた私は助けを求めていいことを、一人では、子どもを育てられないこと、いろんな人の手を借りて子育てをしていること、考えの違う人とも手をつないでいかないといけないことを教えてもらいました。
おかげで、児童精神科の先生、心理の先生、小中高校・大学の先生、児童相談所のケースワーカー、「むぎのこ」の先生など、本当にたくさんの人にお世話になりました。
そんな方々に白旗を上げさせてくれたのも、このS君のおかげです。
白旗をあげることで、人生は楽になり、いろいろな人とつながることができました。
わがままだった私を大人にしてくれました。
「S君、こちらこそ我が家に来てくれて、ありがとう」
私の子どもを育てていながら、ケアすることで、ケアする側も育てられる、大人になったな、という風に感謝しております。
参加者からいただいた質問
「むぎのこ」を始めた原点というのは何になるのでしょうか。
「むぎのこ」を始めたのは、学生時代に、障がいのある子で、自傷・他害が激しい子どもが入院してまして、その子がまだ10代後半だったと思うのですが、一般の暮らしができない状態になって、なぜこんな状態になってしまったのだろうと疑問を持っていました。
そして指導員に聞きましたら、小さい時に父母が別れて、お父さんが育てていて、お父さんが仕事に行くときに、だれも見る人がいなかったので、タンスにひもでくくりつけられていました。お父さんが帰ってきたら、糞尿がそこにあったり、たんすが倒れてきたりしてきた、と教えてもらいました。
それで施設に入所になったのだと思うのですが、お父さんが悪いというようには思いませんが、もう少しいい環境を与えてくれるとよかったのではないかと思いました。
もう一つは、その子が重度の自閉症で自傷・他害が激しかったのですが、非常に純粋で、「おまえは信頼できるのか」と言われているようでした。
この子に信頼できるようにならないといけないな、と思いました。よりよい環境を作るために、学生4人で作りました。
自立に向けた行動はいつごろから始めたらいいでしょうか。
どういうことに注意して自立の道を準備してあげればいいのでしょうか。
社会的養護の子どもたちのこれまでの育ちというのが、関わっているのだと思います。
人を信じれないような環境で育った子どもは、1から育てなおして、
安心・安全な環境を提供することです。人への信頼がその子の可能性を広げてくれます。
安心した環境で育っていくと、何をしたらいいのか、何がしたいかが子どもはみえてくるようになります。
それを里親としてどのように応援できるのかにかかっています。
私はパン屋さんをやっているのです。私自身は職業訓練をしたことがないのですが、
実習で特別支援学級にいくと15歳で職業訓練をしていました。一般の中学生は職業訓練していない中、障がいがあるだけで、職業訓練をするのはおかしいことだと思いました。
自立に向けて人とどうやってつながり続けるのかを、信頼することができるのか、
それを教えてあげてほしいです。その中で自己主張に耳を傾けてあげながら、
環境を整えていってあげればいいと思います。
今、人とのつながりの中で、自己主張が必要になるということですが、子どもと向き合うときに大切にしていることは何でしょうか。
普通のくらしを普通にやるように心がけてます。
また「あなたは素敵な子だよ」と言葉にすることも大切にしています。
肯定的なまなざしで子どもと接するようにしています。
あと学校に行ったときも、先生に子どもに「大丈夫だよ」という気持ちで、
面倒をみてくださいと伝えました。それで学校が怖くならなくて卒業までできたので、
安心して肯定感をもたせるように働きかけていくことが大事です。
障がい児の里親になる制度はどれくらい普及しているのでしょうか。
障がい児は児童養護施設で過ごすと聞いていますが、どうなのでしょうか。
実際に、障がい児の里親はどのくらいいるのか、ファミリーホームは全国でどれくらいあるのでしょうか。
今、障がいがある子だけでなく、虐待を受けて発達に問題のある子どもも多いので、
児童発達支援施設や放課後児童デイサービスを使っている里親さんもいます。
制度を上手に使って育てている里親さんが多くなってきていると思います。
ファミリーホームはほとんどの自治体にあります。
障がいの子を特別視しないで、他の子にくらべてできないことが多かったとしても、
その子の良さがあるので、いっぱいほめていると、その子の可能性も広がっていくので、
信頼してあげてほしいです。障がいがあることが不幸ではないので、人との関係性が作れると、いろいろな機会に恵まれるので、もし障がいを持っていても、安心してください。
相澤氏
安全基地というような安心できる環境環境を作っておくのは、子どもにとって必要ですね。里親家庭でもそうですけど、自立をしていくうえで、第3の居場所が必要になるんだと思います。
第3の居場所、地域のみなさんとの関わりについてどんなことをされているのか具体的にお聞かせください
学校の先生と、「むぎのこ」と家庭と地域のおばさんの方たちを安全基地としながら、
育てています。
ある子が万引きの疑いがあって、バレエを習っているのですが、バレエの先生にもいろいろ頼みました。金銭管理もお願いしていました。
相澤氏
子どもの特徴に応じて受け入れてもらうように、こちらがお願いする、調整することが大事です。包括的な支援機関として、フォスタリング機関が必要だと思います。
個別の案件に対応してくれるようになってほしいです。フォスタリング機関がよりよくなるために、里親さんが声をあげていくことが大事です。
私は保育士養成校の講師ですが、里親制度について知ってもらいたいことを教えてください。
なかなか里親やファミリーホームだと、施設の先生と違ってキャリア形成の整備が不十分で、しかし、専門性を必要とする場でもあるので、保育を学んだ学生さんも将来スーパーバイザーになってほしいです。
70歳ですがファミリーホームを作りたいと言っても、児童相談所では「これ以上増えてもね」と言われて悔しい思いをしました。
いろいろ要件はありますが、70代でもファミリーホームはできますので、あきらめないでください。
里親支援のモッキンバードファミリープランのメリット・デメリットを教えてください。
アメリカから来たものはそのとおりにしないといけないライセンスがあったりするので、
ここが難しいところだなと思います。
アメリカのモデルを日本のファミリホームに取り入れると措置費が入ってこなくなったりします。
今の日本の制度に、モッキンバードをそのままもってくるのは難しいかなと思います。
アメリカやヨーロッパでのやり方はありますが、
今いる子どもたちのために、今ある制度でよりよくできるのか、柔軟であることが大事だと思います。
相澤氏
「外国のものをそのまま取り入れたと言っても良くなるわけではなくて、
日本の文化とか風土とかいっぱいあるので、欧米のシステムを応用しながらとりいれるのも一つのやり方だと思います。
どんなシステムでも、メリット・デメリットがあります。
だから活用できる資源、つまり引き出しを多く持っておくことが大事で、
これからできてくるフォスタリング機関も活用していけるようになってほしいです。」
北川氏
「そうですね。障がい児のママたちや私の園のお母さんたちも、
つながりについて、自分の強さを求めてつながるとつながりにくいのですが、
自分の弱さでつながることがあります。
里親してから自分の弱さに気がつくことがあります。その中でつながっていけるところがあります。
「立派な里親にならなくていい」というのが私のもっているテーマでもあります。」
相澤氏
「私も施設でよく言ったのは、弱さによる支援をしてほしいといってました。
不完全なのが当たり前で、それをさらけ出せるようになるのが大切です。
それが養育にとって必要なことだと思います。」
北川氏
「こどもに謝るっているのは難しいといいます。でも、委託児童には距離があるのか、すぐに謝ることができます。」
相澤氏
「教育というのは、子どもの許容で成り立っていると思います。
実子の子育てと委託児童の子育てでは違ったやり方をしていると思うんですね。
最初にエネルギッシュに接した子どもには、今となってはもっと包含するように
育てればよかったと思っています。子どもは黙ってそういう面を許して、付き合ってくれたのだと思います。」
北川氏
「若い先生だから許してくれているときもありますし、若い里親さんだからできることもあります。」
相澤氏
「私が思うのは3世代でみるというのが、できないかと思っています。
里親さんになった夫婦と、里親経験をしたおじいちゃん、おばあちゃんがいて、
委託児童への対応の調整役を里親経験したおじいちゃん、おばあちゃんにしてもらう。
委託児童に「里親さん、このように言いたいけど、なかなか言えてないんだよ。」
とフォローしてもらうようにしてもらいます。
北川氏
「それは「むぎのこ」でやっていますね。70代の元里親さんがいて、辛そうな里親さんに対して「休みなよ」とか「誰かにみてもらいなよ」とコーディネートしたり、里親さんから頼ってきたりしています。
子どもがいて、里親がいて、おばあちゃんがいる、まさに3世代の構造になっています。
アメリカでやれば、スーパーヴァイザーにあたるのだと思いますが、私たちの場合は、子どももかわいがるおばあちゃんでもあるので、とてもいい関係だと思います。」
相澤氏
「アットホームな関係はいいですね。」
北川氏
「地域でそういうのがなくなってきているから、里親をとおして、さっきのモッキンバードではないですが、日本型のつながりがあって、子どもの苦労、里親の苦労をねぎらってくれるようになればいいですよね。
そうやってそれぞれが自分自身が振り返る機会があればいいですね。」
北川先生は心理学を学んだということですが、どのような心理学を学ばれたのでしょうか。また、養育で留意されていることがあれば教えてください。
日本の心理学ではなくて、アメリカで学んだので、何を学んだかお伝えしづらいのですが、各派(ユング派など)を学んで、各派を乗り越えて心理学は何ができるのか、を学んで、
サンフランシスコでコミュニティ心理学を学んで、ホームレスや薬物依存症の方への支援をしました。生活も含めた心理支援を学びました。
「多様性が良い」ということを知りました。
それぞれの尊厳の回復をしていくことが必要と学びました。勉強もしますが、面接が何回もあり、実習もたくさんありました。
はじめ私が臨床心理を学ぼうと思ったのは、トラウマケアの先生に出会って、子育てはハウツーではなくて、子どもの背景にあること、子どもが抱えていることが、養育に影響していることを教えてもらいました。
そして私の園にトラウマケアの先生が来てもらいました。お母さんたちは障がいのある子どもを育てている一方で、トラウマがあるわけではないのに、そのセラピーをやったら、
みんないろいろなトラウマがあって、すごく苦しんで生きてきたことがわかりました。
そのあとみんなで励ましあうのです。
そうしていくうちに、お母さんたちが回復してきました。お母さんの自己肯定感が上がってきました。今も月2回お母さんに向けてのセラピーをやっています。
里親さんの声を聴くと、里親さんはとても苦労されています。
養育する家庭の方向性はバラバラであって、良いかもしれません。
何よりも日本の制度がどのようになれば、里親や委託児童がプライドをもって生きていけるのかを、また児童相談所との関係とか、まだまだ苦労があります。
その中で、子どもを養育している里親さんの苦労が報われてほしいです。
子どもというのは、信頼する大人との関係で可能性が広がりますので、希望を失わないで、やっていってほしいです。
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10月30日10:00-12:00講師河内 美舟 氏
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