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今回の講演者
塩尻 真由美氏
とちぎユースアフターケア事業協同組合
今回は、相談支援員の塩尻まゆみさんをお迎えして「社会的養護で育つということ~家族を持ち、親になった今、感じること~」をテーマに講演していただきました。
児童養護施設で育ち、社会的養護の当事者としての活動を始め、現在は若者の相談支援を行う支援員として活動しています。
講演では、施設で過ごした子ども時代、社会に出た後の孤独や困難。そして母となった今だからこそ感じることを、まっすぐな言葉で語ってくださいました。
講演内容① 児童養護施設で育った学生時代
幼少期
3歳で母親から何の説明もなく児童養護施設に入所した塩尻氏。施設では大勢の子どもと共同生活を送ります。
よく「幼児さんの時に寂しくなかったですか?」と聞かれるそうですが、物心ついたときから施設での生活のため、寂しいと感じることは少なく日々賑やかに過ごしていたそうです。
小学生時代
小学校入学を機に、一般家庭の子どもたちと初めて出会いました。このとき、子どもたちの親や先生から「施設の子」という偏見や、差別的な扱いを受けたことが心に残っているそうです。
そんななか、仲の良い友達もできました。友達の家を訪問した際、普通の家庭の温かさや個人の空間があることに感動。施設とは違い、1人のお母さんが子どものためにすべてやってあげるということを羨ましく感じたそうです。その一方で、「施設って恥ずかしい」と感じるようにもなったといいます。
スポーツ大会では、バスケ中に友達が転んでしまい、友達の母親に「やっぱり施設の子は野蛮な子ね」と嫌な顔をされました。後日友達からは謝られたそうですが、「大人たちが社会的養護の子どもをポジティブには見ていないのだな」と感じることになります。
中学生時代
先輩からの暴力が辛く、吹奏楽部の活動に専念して施設と距離を置いたそうです。ですが、施設内が荒れていた時期で、生活リズムが狂い不登校になってしまいました。進路を決める際も大変な思いをされましたが、無事高校受験に合格することができました。
この時、合格して「嬉しい」というよりも「3年命拾いしたな」と、施設を退所しなくていいという安心のほうが大きかったそうです。
高校生時代
就職を見据えて商業科を選択され、クラスで2番の成績になるほど勉強に集中。本来は成績がいい順に就職先を選べる予定でしたが、自分の就職の第1条件は“寮がある所”だったため、商業科で取得した資格は活かせなかったと話していました。
講演内容② 施設を出てからの葛藤と結婚・出産
18歳で施設を出てバスガイドの職に就きましたが、1年で離職することになりました。
その時、施設には相談できなかったといいます。塩尻氏は、同年代で施設に残った1人ということで期待されていたこともあり、誰にも相談できず。ホームレスになるか、仲間がやっている風俗をするしかないというところまで考えられていたそうです。そのときの焦燥感は忘れられないとのこと。
そんな中、入所時からずっとお世話になった、自立援助ホーム「星の家」のホーム長さんに連絡をしました。
相談後すぐに、施設でお世話になった担当職員さんのもとへ向かうことになります。ほっとする気持ちと同時に仲間たちへの申し訳なさや、帰るところがないというところから「やっぱり私っていらない人間だったんだな」と強く感じてしまったそうです。
■自立援助ホーム…親元を離れて生活する若者が住み込みで生活や就労支援を受けられる場所
家庭を知らずに結婚するということ
28歳で結婚を決めたときは不安がとても大きく、そもそも「家庭って何?」と感じており、苗字が変わって家族になるということに不安があったそうです。
母親の戸籍にいるということが、塩尻氏と母親との唯一の繋りでした。それがなくなることで、母親との関係も切れてしまうという寂しい思いもあったそうです。
結婚式を挙げる前まで、職場では社会的養護で育ったということを隠していました。
しかし、お世話になった職員さんの存在を隠してまで、誰のために結婚式を挙げるのか疑問に感じました。そこで覚悟を決め、結婚式を挙げる前には7年間一緒に仕事してきた仲間へ、児童養護施設で育ったことをスピークアウトしました。職員さんたちにも「結婚式で、ちゃんと児童養護施設のことを堂々と言うから、恩師で出てください」と話したそうです。
この結婚式のスピークアウトが、塩尻さんの中でとても大事な儀式になりました。社会的養護を恥じるようになったのは、小学生時代に出会った大人たちがきっかけ。ここで改めて「社会的養護で育つということは、隠すことでも恥じることでもなんでもないと思えた」といいます。
出産・育児のスタート
お子さんを妊娠したときは、「親を知らない私が親になれるのか」と不安でいっぱいだったそうです。
「生まれてきた子どもを私はずっと親に愛されたことがない。親は産みっぱなしで私を捨てていったという思いをずっと抱えてきたので、私は本当に自分の子供を愛せるのか」と、不安だった心境を語られました。
頼れる人がおらず旦那さんと2人で協力し、四六時中心配が続く張り詰めた生活を送っていたそうです。日中お子さんと2人きりでいることがしんどく感じ、地域の子育てサロンへ行かれることも。サロンへ行くことによって、育児の負担をママたちとシェアできたことが心の支えになりました。結局、社会的養護で育って親がいなくても、一般家庭で育って両親の助けを得られても、子育ての悩みは一緒だとわかったそうです。
そして、長男さんが2歳になったばかりの時期に双子の出産。1人目のときの「育てられるかな?愛せるかしら?」などという心配の気持ちはなくなっていたといいます。
育児を通して感じたこと
塩尻氏は、「「親」という存在がないなかで、自分の土台がなかった」と話されています。
「誰からも望まれなかった人生なんだから、どうなってもいいよね」という気持ちがずっと心のどこかにありました。ですが、お子さんを出産したことにより「私は自分の過去は誰でもいい。私はここから、私はこの子の親なんだと、そこで根を張れた」と話されていました。
想像上の憧れでしかなかった「普通の家庭」を作れたことが、塩尻氏の生きていられる意味になりました。
講演内容③ 親になった今、感じること・伝えたいこと
施設を退所した後も、塩尻氏が大事だと思う方はいつもそばにいてくれます。結婚や育児など人生の大切な節目には、いつも寄り添ってくれて自分のことみたいに喜んでくれ、助けてくれる方がいます。ずっと孤独ではありませんでした。
また、社会的養護の大人はみんな子育てのプロで、お子さんの相談をするとプロならではのアドバイスをもらえます。塩尻氏が社会的養護で育ってきた1番のメリットは、ここではないかと感じられているそうです。
母親について
幼少期は恨みしかなかったという母親の存在でしたが、親になり、「母親は私たちを育てられなかったけれども、社会的養護に託すことで守ってくれたのかもしれない」と感じるようになったそうです。
どの家庭でも、お子さんを社会的養護に託すことになるかもしれません。ですが、そのとき親としてできることは、「自分がママにとっていらなかった」と自分自身が拒否されたように感じないよう、想いを伝えていけるよう準備をすることです。
塩尻氏は、常日頃お子さんが両親に愛されていると実感できるように子育てをされています。そんな風に思わせてくれたのは、自分に寄り添って大事に育ててくれた大人たちだと話します。お子さんを愛し、お子さんにも愛されていると感じられるように育んでくれたのは、社会的養護で関わってくれた職員さんたちです。
最後に、塩尻氏が現在取り組まれていることを紹介していただきました。
・とちぎユースアフターケア事業協同組合で、社会的養護を離れた方やケアリーバーの方の相談・サポート
・自立する前の児童に向けての支援
-自立が近い高校生向けの社会科見学や座談会の開催など
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