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武蔵野大学の教員として、将来児童相談所で働きたい、児童養護施設の職員になりたい、里親さんの支援をしたいという学生さんを育てている永野氏はIFCA(インターナショナル・フォスター・ケア・アライアンス)の理事長として社会的養護のもとで育った若者たちの当事者参画、当事者の声を中心にする活動をされています。
里親セミナーでは「ユース」の項目を中心にお話しいただきました。
今回の講演者
永野 咲 氏
武蔵野大学 人間学部 社会福祉学科 講師 / IFCA
講演内容① 社会的養護
〇児童養護施設の働きが成功したかどうか判定する最も重要な目安は、 退所後に子らがどうなるかということであろう
日本の児童養護施設を研究し、日本の児童養護という本を書かれたロジャーグッドマン先生が著書の中で「児童養護施設の働きが成功したかどうか判定する最も重要な目安は、退所後に子どもたちがどうなるかということであろう」と書かれています。
この「児童養護施設」を「里親」に置き換えても全く同じで、このことが今になってようやく議論され始めているということでした。
〇社会的養護とは何か
保護者が養育できない、または養育されることが適切でないと判断された子どもたちを、公的責任において、養育・保護する仕組みとなっています。保護者が養育できない理由としてはいろいろな事情があります。
そこで社会が代わりに育てるという仕組みが、社会的養護ということです。
子どもの最善の利益のために、社会全体で子どもを育む仕組みを社会的養護といいます。
慈善活動ではなく、社会的に用意されている制度、公的責任において提供されている制度であり、ボランティアで支えている仕組みではありません。
〇令和2年度 児童虐待相談対応の内訳
児童相談所に寄せられる相談対応件数もうなぎ上りになっています。
相談件数の子どもがすべて保護されて、社会的養護にいくわけではなくて、7分の1くらいの子ども、4,000人くらい子どもが社会的養護という枠組みの中に入ることになります。
〇当事者の「参画」、何に「参画」するのか?
当事者の参画ということを考えていきますが、何に「参画」するのかを整理していきました。
社会的養護、子ども家庭福祉全般に関わることですが、多くの特徴があるといいます。 それは、制度に終わりがある点です。例えば措置解除です。
高齢者福祉のことを考えてみると、100歳まで生きたので、利用している制度は終わりです、ということはありません。つまり、長生きしても高齢者福祉の対象になり続けます。しかし、児童福祉の場合は18歳で終わりになります。
16歳で保護されても、17歳で保護されても、18歳になれば措置解除となるわけです。
〇「参画」するとは声を上げるということ
措置されている間に「実親さんに会いたい」「高校に行きたい」という、自分の人生への参画を実現することができます。自分で声をあげることをセルフ・アドボカシーといいます。自分の声で、自分のプランが変わって、自分のケアが変わっていきます。
措置解除となって自分のケースに声を届けることができなくなると、今度は社会に「参画」していくことになります。
〇「社会を変える」という人たちがいます
自分たちの声で社会を変えようという活動、IFCAのユース部門に該当、声を上げることは、ピア(仲間)になる場合、ピア・アドボカシーといい、アメリカでは、ユース・アドボカシー、社会を変えることからシステムアドボカシーともいうそうです。
自分たちはもうケアを受けることはできないけれど、同じような立場になっている、赤ちゃんや子どもたちのために制度を変えるのだ、というように、参画している人たちがいます。
2つの種類をきっちり分けられるわけではないですが、時間軸で「自分の人生への参画」と「社会への参画」に分けられます。
講演内容② 自分の人生への参画
〇2017年「新しい社会的養育ビジョン」
2017年に「新しい社会的養育ビジョン」が出ました。
2016年の児童福祉法改正にともなって、これから社会的養護をどうするのかを話し合われ、できた計画書みたいなものです。その中で、新たな社会的養育という考え方では、そのすべての局面において、子ども・家族の参加と支援者との協働を原則としています。
参加とは、十分な情報を提供されること、意見を表明し尊重されること、支援者との適切な応答関係と意見交換が保障されること、決定の過程に参加することを意味します。
このあたりから当事者の参画とか、子どもの権利条約の「子どもの意見表明権」をどう保障するのかを、議論されてきました。
〇保護を必要とする子どもの「意見」とは?
社会的養護が必要な子どもは、保護以前にいろいろなことが起こっている可能性があるといいます。虐待的な環境、マルトリートメントを受けている場合では、生き延びることが大前提にあるので、痛みを感じないように、辛い、悲しいなどを感じないように、感情を麻痺させて生きてきた子どもたちが多いことを知る必要があります。
自分の意見をもたないようにして、自分の気持ちよりも周りの大人の意見を優先だった境遇にあって、声を上げて「助けてほしい」と言えない子どもにとっては「意見表明」は難しいことになります。
〇当事者との活動
IFCAユースの方が、児童養護施設等で働いている支援者に向けてお話ししたことがあり、永野氏はその時のことをお話しくださいました。
「彼女は17歳まで家庭で生活していたのですが、非常に抑圧的な環境であった。児童養護施設に保護されるようになって、入所してすぐに困ったことがありました。
職員が「好きなものを選んでいいよ」という自主的な選択を求められて、困りました。
家ではつねに母親の顔色を見て、行動していたので、自分の意思で何かを決定することはなかった。施設に入って寝具やパジャマを買いに言って、職員の方に「好きなの選びなさい」
と言われても、自分が何が好きかわからないし、できるだけ安いものを選ばないといけない、としか考えられなかった。自分がどんな洋服を着るのか、何のキャラクターが好きか、何色が好きか、そういうことは子どもであっても自分で選ぶ権利があります。
だけど私は17歳になるまでその権利が保障されてなかった。
母の機嫌を損ねないのが最優先事項で、自分の意思で選ぶ経験があまりに少なかった。
その結果、「自分の好きなのを選んでいいよ」という言葉に困惑してしまう高校生になりました。
このIFCAのユースと一緒に講演をしたのですが、講演後、ユースの方は、「自分の意思を選択する機会を提供し続けてほしい、機会があるごとに聞いてほしい」と言っています。
「何がどうしたいかを聞き続けてくれたから、今選ぶことができる」と言ってました。
意見表明権といえば、舞台があって意見をいってもらうようなことでもあるけれど、
自分の意見を出すことに対して安全が保障されていて、自分の生活に反映されることを、
実感することが必要であり、その積み重ねが大事になります。」
〇子どもたちの「声」を取り戻すには・・・
安全ではない環境で、声を奪われている子どもたちが、声を取り戻すためには、私たちがどうすればよいかを考えていきました。
まずは私たちが、状況に気づき、聴こうとする人になっているかどうかです。
「声」や「意見」は他者に届かなければ独り言でしかないので、届けてもよい人がいてくれることで成立します。
言語表現だけでなく、泣いている様子や話せない状況自体が意見の表明であると言えます。
子どもが大人に働きかけている言動・行動すべてに注目することが重要だといいます。
〇発せられた子どもの(声にならない)「声」をどう聴きとることができるのか
声にならない「声」をどう聴き取るかが、養育者・支援者には求められていて、無視されたり、声をあげても状況が改善しないことが続けば、子どもの声(をあげようという気持ち)は奪われていきます。
〇「声」をどう受け取るか・・・
もし声が上げられたら、どうするのかを考えます。
保護を必要とする子どもたちが気持ちを表明することは、そんなに簡単なことではないことが大前提としてあります。
「感情」を麻痺させて生き抜き、「声」を奪われてきた子どもたちが、自らの置かれた状況や自分の気持ちを表明することは簡単なことではありません。
「声」があげられるまでの道のりへの敬意を持つとともに、確認することが必要となります。
「誰か聞いてくれるかもしれない」、その誰かに自分がなるかもしれません。
講演していると「子どもの声を聴くために5分も時間を割くことができない」と言われるのですが、その「5分」をつくることから始めていかないといけません。
意見表明というのは「自己責任」を押しつけるものではないことを認識しておかなくてはいけません。
「例えば、「あれがしたい、これがしたい」といってやってみると、悪い結果になることがありますが結果ではなく、プロセスが大事であって、子どものチャレンジを責めるようなことはしないようにしましょう」と永野氏はおっしゃっています。
また、児童相談所の一時保護した子どもが自宅に帰りたいという意見表明については、自宅が危険であれば、子どもの意見表明を尊重しつつも、専門家らの判断を踏まえて、子どもと対話する必要があります。
〇自身の「人生」を知る
自分の意見だけでなく、自分の人生に加わっていくために、自分の人生を知ることを抜きにはできません。
里親さんたちはこのことに長く向き合っていると思いますが、自分の人生を知ることは一番大事だと言えます。
自分の生まれ、「生」について知ることやそのための取り組みが、「生きること」そのものをつないでいきます。
以前の回で、徳永先生が「ライフストーリーワーク」についてお話いただいていました。
(⇒第5回里親セミナー【社会的養育全般におけるライフストーリーワークについて】)
「生い立ちの整理」といった自身の「生」を知るための取り組みは非常に大事です。
自身の「生」を知ることで、人生に参画することができるようになります。
〇当事者インタビューで
当事者インタビューの話を聞かせてくださいました。
「『「生きること」そのものをつないでいく』について、私が当事者の方にインタビューすることがあるのですが、ある方から聞いた話で、児童養護施設にいた高校生のときに、自宅に帰りました。おじいちゃんとおばあちゃんのいるところに帰りました。
自分が予期していないときにおばあちゃんが実母の話をしました。その内容があまりいい話ではなかった。児童養護施設に帰ってからふさぎ込んでしまった。その方は乳児院から児童養護施設にきていて、乳児院の職員がその方のもとにきて、「あなたはとてもかわいい赤ちゃんで、みんなが奪い合うほどのかわいさでした。」というエピソードから、自分はかわいがられる存在だったことを認識することができて、いま大人になっても生きていられる、と話してくれました。自分の価値を感じられることがないと、生きていくそのものが難しくなっていきます。」
〇自分の「人生」を知ることができない
自分の「人生」を知ることができないということも、社会的養護の問題として横たわっていることについて知る必要があります。
「これもIFCAのユースがブログに書いてくれるのですが、彼女は一時保護までだったので
す。だけど、家に戻ると虐待を受けていました。なぜ自分は施設での保護をされなかったのか知りたい。そこで開示請求を出しました。そして出てきたものが黒く文字がたくさん塗られた文書でした。結局何もわからないままでした。」
〇人生のコントロール権を奪われてきた
児童福祉法改正の議論になっていますが、今、記録は当事者が25歳を過ぎれば破棄しても構わないことになっています。 自分の人生について知りたいと思った時、いつでも知ることができるわけではないのです。自分の人生に「参画」していくことをもう少し考えていくと、社会的養護の子どもたちは、よく自分の人生のコントロール権を奪われてきたといいます。
これは日本でも、アメリカでも、カナダでも聞くことだそうです。
どういう話かというと、自分の人生ですが、自分の人生のハンドルは自分ではない他人が握っていると例えます。だから自分は何も決められない。社会的養護で暮らす子どもたちの多くは、家族に何か起こったことを決めることはできません。
保護される場合も自分で決められないことが多いです。社会的養護の環境においても自分で決めることができないのです。
このことはとても大事なことで、例えば転校を伴うこともあるわけです。自分の大事なことを「社会」が決めてしまうのです。
しかし、18歳になると措置解除で、自分でコントールすることを求められるのです。
たいてい18歳で自立する子どもは社会の中でそんなに多くない。
社会的養護の子どもは早く自立を促されるのです。「好きなように歩んでいきなさい」といわれても、今まで人生のハンドルを握ってきたわけではないので、運転の仕方がわからない。自分で好きなことが選べないことが繰り返されると、何をしたいかをあまり考えなくなる。それにもかかわらず措置解除で自分のやりたいように生きるように言われても、ギャップがあって難しいのです。
そのため、意見表明権や人生のコントロール権を取り戻すことが大切です。
〇米国の取り組み プランへの参画:家族の意思決定ミーティング
IFCAの団体はアメリカにも法人があるので、いろいろ知ることができて、学ぶことがあるそうです。
アメリカのワシントン州のやり方で、児童相談所等でプランを決めるとき、家族と離れるとか施設・里親家庭に入るときに決めるときに、行わなければならないとされている制度で決まっているミーティングFamily Team Decision Making Meeeting(FTDM)といって、他の州にも似たような呼び名の制度があるそうです。
・家庭からの分離や措置変更、家庭再統合などの重大な決定をする場合、その前にミーティングを開催しなければならない。
・開催するメンバーは、ケースワーカー、両親が参加し、12歳以上になったらその子どもが招待される
・もちろん拒否することもできる
・両親についても、子に危険を及ぼす場合はメンバーにはならない
・ユースが選んだ応援団のような方を呼ぶことができる
つまり、子ども自身が参加できるミーティングがあるということです。
日本でも取り組みがないわけではないですが、少数だといいます。
自分の人生に何が起きているのか、何が起きそうか、いつまでいるのか、どうなったら帰れるのか、話し合い、きちんと知る必要があります。
講演内容③ 社会への参画
〇社会的養護のその後?
社会的養護がうまくいっているかは、退所後の子どもたちの様子次第です。
新しい社会的養育ビジョンで、その子を把握しようとなったそうです。
永野氏が2006年頃から当事者とともに研究を進めてきて思っていたことは、
「社会的養護のその後をしっかり把握しないと、何が必要で、どの社会的養護が必要なのか、わからない」ということでした。
「2020年の全国調査に一緒に入れていただいて、考えながら進めていきました。
このことは新しい社会的養育ビジョンで大きく起きたことなのですが、とても当たり前のように思うのです。学生と話したりするときに、自分が例えばラーメン屋を開いて、自分はおいしいラーメンを作っているつもりなのです。
ラーメン屋を出したわけですから、儲けないと潰れてしまいます。
食べた人が100人中99人がしょっぱいと言えば、塩を抑えないといけないわけです。
なぜそれはわかるのかといえば、食べた人に聞いたからわかるのです。
社会的養護も経験した人に聞いてみないと、
ケアがよかったとか、何が足りなかったとかわからないのです。
当たり前のことですが、社会福祉全般でも、あまりやられてこなかったことだと思います。
さらにいうと子どもの領域においてはもっとされてこなかったのです。だから全国調査が必要になるのです。」
〇措置解除後の実態調査が与えた大きなインパクト
海外では社会的養護のその後を把握することで、その後の動向が変わってきています。
例えば、90年代のイギリスでは、ケアリーバーの過酷な生活状況がわかりました。
ホームレスや刑務所に入っている割合が高いことが明らかになりました。
これは社会的養護ではなくて、社会の課題であるという認識にいたり、社会的養護の大改革へとつながりました。
アメリカでも90年代、社会的養護の状況を把握する統計と研究システムがめざましく発達しました。これには政治家や研究者のアプローチがあったといえます。
自立支援に重点化する法律をつくり、大きな方向性が示されました。
〇令和2年度子ども・子育て支援推進調査研究事業
児童養護施設等への入所措置や里親委託等が解除された者の実態把握に関する全国調査について。
日本も2020年の調査で、全体のうち14.4%の方が回答してくださいました。
里親さんのところで生活していたお子さんについても調査の対象でした。里親さんのところで生活していた人のうち、9%の方が回答してくださいました。ちょっと回答が集まりにくい状況があることがわかります。
〇新型コロナcovid-19の影響 IFCA調査から
IFCAでも調査して聞いてみないとわかないということで、コロナの影響について措置解除後の若者を対象にアンケートを行いました。
アンケートには、1,500円の謝金がついていて、するとすぐに回答が集まったそうです。
このことから生活に困窮していることがわかります。
425人のうち
2割・・・コロナ禍で食糧の確保に困難を感じていた
3割・・・1か月以内に経済的に困窮する可能性がある状態
4割・・・必要な医療、精神的ケア・カウンセリング、薬の入手ができなくなり困っていた
総括として、
措置解除後の生活が厳しいことになっています。
〇社会的養護領域の当事者団体
日本の社会養護の現状として、当事者参画が進むというよりは、まだこれから進んでいくことになります。
アメリカでは大きな組織として若者が声をあげて、活動をしています。
日本ではアフターケアを進めていますが、アドボケイトも必要に応じて行っています。
アフターケアをする団体が多いのは、そのための制度があるからです。アメリカではアフターケアはピアサポートとして実施しています。
〇当事者の声で制度が変わるとき
アメリカでは当事者の声で制度が変わってきています。実際にいって関係者の方へヒアリングをしてきました。PRUDENT PARENT STANDARDという法律の成立過程にあわせておこないました。
この法律の背景には、子どもたちが例えば車の免許を取りたいとか、修学旅行にいきたいとか、サマーキャンプにいきたい、といったときに実親のサインが必要になっていました。そうすると子どもは諦めるというケースが多くありました。
みんなが経験できることを社会的養護の子どもたちは経験できないままになるので、里親さんや児相のワーカーさんのサインでも有効にするための法律ができました。
その成立の過程では、ノーマルー・ワーキング・グループという当事者の数人で構成された組織が関与しています。
ノーマルシーというのは「当たり前の生活」という意味で、実親のサインがないために当たり前の生活が奪われているという提言を出したのです。
里親さんのサインでも有効にしてほしいという提言を出し、モッキンバード・ユース・ネットワークに所属している数百人くらいの当事者の団体が、約1年構成案を練って、どれくらいの割合の方がサインに関して困っているのかを調べて、提言案をワシントン州の社会的養護に関する委員会へ出したそうです。
ワシントン州の社会的養護に関する委員会の中に15人の委員がいて、そのうち2人が当事者でして、かなり高い割合で当事者の方が入っていました。
議会を通って制度ができていくそうですが、今度はワシントン州の児童福祉局、日本でいう児童相談所にあたるところが、どうやって進めていくのか議論し、パンフレット作りました。
次にパッション・トゥー・アクションという諮問委員会というのがあって、任命された当事者の方たちが、5週間に1回集まってきて、ソーシャルワーカーが提示するものに対して、意見を言います。そして当事者の人たちが使いやすいようにしてから、運用していきます。
4つの箇所で当事者の方が参画していることになります。
ワシントン州でこの制度ができるまでに2年くらいかかりましたが、他の州でもできるようになったそうです。
当事者の方が必要だといっている制度であるので、大事であることがわかるわけです。
行政やソーシャルワーカーにとって、当事者の方が意見を言ってくれるのは、とても良いことだと評価していました。
なぜかというと、自分たちの仕事は何のためにあるのかを確認することができるのです。
「すごくエンパワーされます」とおっしゃっていたそうです。
〇カリフォルニア州 CYC 「州議会の日 DAY at the CAPITAL」
カリフォルニア州のこの団体は30年くらい歴史があり、大きな組織となっています。
社会的養護で育った人たちが、カリフォルニア州全土から集まってきて、3日間ホテルを貸し切って、どうやって声をあげていくのかのトレーニングを行うそうです。
州議会のところで、議員の方に今年変えてほしいところを伝えます。
今年は「住宅の安定性」ということで、社会的養護のもとを出なければならないときに、通知される日から出ていくまでの期間が短いので、その期間を延ばしてほしいという声を上げたそうです。
30年間で20個の法律や制度を変えてきた歴史があります。
〇安全に自分のストーリーを伝えるトレーニング
声を制度に届けていくトレーニングが必要になります。
画面に信号機があって、自分の話の中で赤信号はどれぐらいなのか決めようというトレーニングです。
社会的養護にいたことを言っても良いなら青信号にどうして社会的養護に入ったかを話さないようにしよう、と黄色信号と区別します。親御さんの話はしない、これを赤信号にする。
こうやって自分の安全性を図りながら、スピーチなどコントロールするようにします。
〇なぜ安全のトレーニングが必要か?
安全のトレーニングについての考えを全く知らずに、2006年ごろから話を聞いてほしい一方で、根掘り葉掘りなんでも聞かれてしまって、答えると疲れてしまい、多くの人が去って行ったり、具合が悪くなってしまったりしていたそうです。
自分の人生は自分のものなので、何を話すかも自分で決める。
「かわいそうさ」を話さない。
かわいそうなエピソードにより、かわいそうな人という位置づけにされてしまいます。
泣かせる話をしなくていい。自分は生き生きと生活していますし、社会的養護の中で、いいことも悪いこともあったということです。
〇当事者参画の軋轢
当事者の方が声を上げることで、今こういうことが起こりそうであって、その話を聞く機会も増えてきたといいます。
社会的養護の中で育っているうちは、「こういうことが嫌でした」と言っても「あなたは子どもだからだったのだから、わかってなかった。」といって発言の価値を低められてしまいかねないのです。
一方で、社会的養護から離れて大人になったら、声をあげても「もうあなたは子どもじゃない」と言われてしまいます。
・外野にいる「当事者比べ」
団体同士を比べたり、当事者同士を比べたりしないようにすることや、かわいそうさを売らないといったことが大切になります。
・当事者参画のアリバイ
当事者の表面上の参画といったこともあります。
〇当事者と支援者のパートナーシップ
コントロール権をすべて当事者に渡すのではなく、共有することが大事だと思うと永野氏はおっしゃっています。
社会的養護とのパートナーシップが大事だというアメリカの考え方があるそうです。
だからパートナーである当事者ユースと一緒に決めることが大事ですが、一方で放置してしまうと、大人がコントロールする状況になるので、ユースからのエンパワメントが共有されてコントロールへと向かうようにしていかなければなりません。
〇おわりに「環状島モデル」をつかって...
関心ある方には、本を発売しているので、よかったら読んでみてください。
子どもアドボカシーと当事者参画のモヤモヤとこれから
──子どもの「声」を大切にする社会ってどんなこと?
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参加者からいただいた質問
当事者ゆえの難しさもあると思います。
当事者参画のメリット・デメリット、留意した方がいい点があれば教えてください。
基本的には当事者参画のデメリットはないんだと思うのですが、気を付けないといけないことはたくさんあって、安全・衛生の確認をするということを当事者自身も周りも把握しなければなりません。
人生をかけて当事者参画をするというのは、ちょっとしんどいかなと思います。
社会的養護で生活してきた経験は、時期によって濃淡があると思うのです。
当事者性が自分をすごく支配することもあるんですけど、この先長い人生が広がっていて、
社会的養護で生活してきたことはひとつのアイデンティティであり、それ以外にもいろいろなアイデンティティがあることは非常に大事なことであり、自分の枠に押し込めない感じです。
そういう取り組みとしていって、先駆的な情報を里親さんたちが、入手しようとするときに、参考となるようなことがあれば教えてください。
よろしければ先ほど紹介した本「環状島モデル」を読んでみてください。
よく聞く訪問型のアドボカシーについても書かれていますし、赤ちゃんの声も書かれていますので、よかったらぜひ読んでください。
私も当事者参画について深く書いていますので、宣伝になって申し訳ないですが。
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子どもの声をしっかり聞いていくことがとても大事で、まさに聞かれる権利を保障されながら養育する必要がありますが、里親さんたちが幼少期のお子さんたちを実際に養育していくのですが、今日講演があったなかで、意見表明などを踏まえながら、
養育をしていく中での留意点があれば教えてください。
カナダでもヒヤリングをして、どうすれば子どもの権利を守った養育ができるか、いろいろ聞いてきました。いろいろな大変な問題が起こりますが、子どもの話を聞けばたいていの問題は解決すると言われています。
答えというのは子どもがもっている。会話で確認していくことかと思います。
「何色が好き」とか、といった積み重ねになってくるのかと思います。
子どもの声を聴くことの大事さがよくわかりました。
一方で、今まで声を奪われて、ハンドルを握ったことのない子どもの声を引き出す、聞く側の資質を問われるのは、その通りだと思います。引き出す仕組みや体制、聞く側の想像力というのが大切だと思います。
どのように進めていくと安全に効果的に、声を吸い上げることができるのか、教えてください。
いきなり大きな話にならないで、日々の積み重ね、みなさんが目の前にいるお子さんとの時間の延長線上になると思います。その中で子どもの声が大事であるというシフトチェンジが必要になるのだと思います。
先日、高校生と話すことがあって、その方は社会的養育者の方ととてもいい関係が築けていて、自分のしたいこと、やりたいことを応援してくれて、対話もできるということから、どうやってそんな風になったのか質問しました。
小さい時から自分のことを対等に見てくれたということです。子どもだからわかっていないとか、知らないとか思わないで、その養育者が対等に見てくれて、信頼のおける存在であるといっていました。つまり日々の積み重ねなんだと思います。
子どもの意見を言えているのかが鍵だと思います。しかし、10歳、15歳で委託されてきた子どもとは、積み上げる時間が短く、委託開始時点からの時間をどうするのかが大事ですね。
対話することによって気持ちが変わっていくプロセスが、とても大事なんだと思います。同時に社会的養護の仕組みである以上、委託される年齢は選べませんし、半年後に委託解除になるかもしれません。だから積み重ねが必要といっているのは、お互いの関係性だけじゃなくて、子ども中心で、いろいろな人でもいいので「聞いてくれた」ということの積み重ねに意識を向け、その子にとって積み重ることができたことに重きを置くのです。
お互いの関係性だけじゃなくて、今日委託されて、半年後には委託解除されるのであれば、
今日がスタートなので、今からやっていくことが大事です。そして積み重ねていく日々の中で子どもの力を信じるのです。
里親さんからメッセージがきていて、子どもが結婚したのですが、いろいろあり大変です。
いろいろ里親のほうが聞いてあげたいと思っても、会えずに聞くことができないです。見守るということは難しいと思います。
社会的養護の制度である以上は、当事者の本人からみると、どんなふうに見えているかというと、人間関係が途切れ途切れになっているのです。大事な大人ができても、その人たちは期間限定で、職業、業務としてやっている。里親さんの場合は少し違う視点に立っているかもしれません。
尊敬できる児相のソーシャルワーカーに出会ったとしても、異動でいなくなったりするわけです。やっぱり自分の目の前に現れる大人というのは、いなくなると思うのです。
そういうことを経験をしていると、誰とつながっているのか良いか、判断がつきません。
これは本人のせいではないのです。
誰かが自分に入るという感覚が非常に大事だと言われていて、
つないでいくツールを作成していこうとしているところです。
ただ里親さんのコメントをみていて、やっぱり気にかけているよということを伝えるのは大事です。パーマネンシーパクトでは、当事者の人たちが何が必要なのかを自分で確認していく作業をするのです。誰と結ばれたいかを自分で決めるのですが、例えばそれをしないといろいろな齟齬が起こる。私が日本で聞いていたのは、社会的養護を離れた後に、毎月お米が家に届いていた。
養育者の方が良かれと思って毎月お米を送っていたのですが、当事者の方は、生きることにしんどさを抱えていたのです。米がまるで生命を維持するための餌のように思えて、
毎月、餌が届いている感覚になっていました。
これは悲しい行き違いじゃないですか。当事者が欲しかったのは、元気にやっているのかという、当事者からのメッセージだったのです。社会的養護を離れる前に、きちんと話しておくことが必要です。何が当事者にとって必要になるのか、
話し合ってみようね。
月に1回は電話してほしいとか、電話したいとかを相談します。もちろん夜10時以降はやめておくなどルールは決めます。
措置解除になって「いつでも帰ってきてね」と伝えますが、一方で「合鍵返して」と求めて、結局いつでもじゃないことを当事者の方は実感するのです。
悲しい行き違いをなくすためにも、意見表明の延長ですが、きちんと話すことが重要になります。
アドボカシーについて、訪問型が主流になりそうですが、ピア型の発展には何が必要でしょうか。
システムアドボカシーですね。
訪問型が主流になってきているのは、いいことでもあります。ケースひとつひとつを蓄積していって、状況を変えるべきときは変えないといけません。
社会システムを自ら変えていくアメリカの当事者たちは、変更された制度を誇りに思っています。エンパワーメントされています。
社会的養護の中で子どもの意見を聴くことが主流になってきていると思うのですが、教育現場でそれはなってないので、子どもたちは家では意見を聴いてもらえるけれど、外では全然聴いてもらえなくて、学校に行きたくないというよく聞きます。 それで学校に行きたくないという子どもに困っている里親さんがいます。
教育の現場では、子どもの権利条約とかを習わないそうですね。 里親さんの声が聴かれてない、学校現場も教員の声も聴かれていないのかもしれないなと、思います。そうするとそこにいる子どもの声はますます聴かれていないだろうと思います。子どもの声が聴かれると、子どもの権利が守れます。 大人側の権利を子どもの側に分けているわけではなくて、子どもの声が聴かれて、権利が守られるというのは、大人側の声も聴かれるようになるのです。子どもの声を聴くことが、大人の声を奪われるわけではないので、対話すればいい。 もちろん言いくるめることとは違います。人をお互いに大事にする信念が身についてきます。子どもといっても、人ですから対話することができます。
主催オンライン里親会
里親支援と子どもの自立
9月11日13:00-15:00講師北川 聡子 氏
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